会津泉 プロフィール

[会津泉] 2015-12-25 10:00:00

多摩大学情報社会学研究所 教授・主任研究員

財団法人ハイパーネットワーク社会研究所 主席研究員

略歴

1952年 仙台市生まれ。

1971年 私立栄光学園高校卒業

1972年 印刷会社に就職、印刷現場、後に営業に従事。

1977年 海外向け広告・広報の営業、企画・制作に従事。

1983年 パソコン・ワ-プロの日本語マニュアル制作を手がける。

1985年 フリ-になり、米国のパソコンネットワ-クの実態調査を実施。

1986年 (株)ネットワ-キングデザイン研究所設立、日本でのヒュ-マン・ネットワークの定着をめざし、パソコン通信を中心に海外動向、地域・企業組織への導入・利用に関する調査研究、普及活動に従事。大分COARA(大分パソコン通信アマチュア研究協会)の活動にも積極参加。

1987年-93年、パソコン通信の全国会議「ネットワーキングフォーラム」の企画・開催(東京、大分、富山、仙台、滋賀、神奈川、小樽、ソウル、桐生、藤沢)。また米国、欧州、アジア各国のネットワーカーとの国際交流に尽力。

1990年 「ハイパーネットワーク日出会議」を企画・運営、新しいネットワーク社会のあり方についての研究を開始。

1991年 国際大学GLOCOM(グローバル・コミュニケ-ション・センター)企画室長兼任。インターネットを中心に、日本の情報通信産業の戦略、政策研究にかかわり、米国、欧州、アジア各国の情報政策分野の研究者、政策担当者との交流を深める。

1993年 (財)ハイパーネットワーク社会研究所研究企画部長を兼任。未来のネットワーク社会についての研究・実践活動を推進。「ハイパーネットワーク別府湾会議(1992、94、95、97、99年)」、「同地域実験」など、地域を中心に、インターネットの普及活動に従事。

1997年4月 マレーシア(クアラルンプール)に移動し、アジアネットワーク研究所を設立、アジアにおけるネットワーク社会についての研究と普及実践に従事。

1998年6月-2000年12月 アジア太平洋インターネット協会(APIA)事務局長を兼任。ICANN設立を中心に、インターネットのガバナンス活動に関与。

2000年4月 東京に拠点を移動、国際大学GLOCOM主幹研究員を兼任。

2002年1月 ハイパーネットワーク社会研究所副所長就任。

2004年5月-2007年3月 国際大学GLOCOM客員研究員。    8月-2006年3月 インターネットガバナンス・タスクフォース設立、事務局長。

2004年6月 多摩大学情報社会学研究所主任研究員に就任。

2008年4月 多摩大学情報社会学研究所教授に就任。

2008年5月 衛星ブロードバンド普及推進協議会(SBPC)設立、事務局長に就任。

2011年5月 情報支援プロボノ・プラットフォーム(iSPP)設立、共同代表理事に就任。

2014年5月-2015年3月 ハイパーネットワーク社会研究所理事長・所長

23015年4月 ハイパーネットワーク社会研究所主席研究員

●委員会等の活動 1986年 郵政省「パソコンネットワーク研究会」、自治省「パソコン通信研究会」、通産省「パソコン通信研究会」、各専門委員。以降、各省庁・自治体の情報通信関係の各種研究会、委員会に参加

1990年 ENA (Electronic Networking Association) 副会長

1992年  NTT「電気通信技術委員会」専門委員

1993年 日本インターネット協会幹事 国際交流部会長

1997年 APNG(Asia Pacific Networking Group) 副会長(渉外担当)

1998年 Advisor, Aspen Institute Internet Policy Project Membership Advisory Committee, Internet Corporation for Assigned Names and Numbers (ICANN)

1999年 郵政省「次世代インターネット研究会」構成員

2000年-2002年 Advisor, Internet Content Rating Association

国土庁「ITを活用した首都機能都市の在り方に関する検討会」委員

2001年~ 財団法人インターネット協会評議員

2001年-2002年 G8DOTフォースに日本政府の依頼を受けてGLOCOMの一員として参加、NPO代表として活動。

2002年-2005年 世界情報社会サミット(WSIS)、アジアのNGO参加を支援する活動に参画。

2003年 総務省「携帯電話の番号ポータビリティの在り方に関する研究会」委員。

2003年1月 ICANN理事会により、一般会員助言委員会(ALAC)初期委員に任命。       AP-Star Co-Chairを務める。

2006年-2007年 国連GAID (Global Alliance for Information and Development) High-level Advisor

総務省ネットワーク中立性懇談会オブザーバー

2007年3月-2008年11月 ICANN 一般会員助言委員会ALACアジア地域代表委員。

2008年 総務省インターネット政策懇談会、通信プラットフォーム研究会、ICTビジョン懇談会基本戦略WG 各構成員 情報通信審議会インターネット基盤委員会オブザーバー

2009年 総務省情報通信審議会インターネット基盤委員会構成員

2009年ー 現在 総務省「IPv6によるインターネットの利用高度化に関する研究会」構成員。

投稿者 : 会津泉

安全保障関連法案と集団的安全保障

[山内康英] 2015-07-16 00:00:44

安全保障関連法案が15日午後、衆院特別委員会で採決されました。以下はその前日に執筆されたこの法案にまつわる論考です。

1, 現国会の安全保障関連法案と集団的自衛:現実主義者の観点

現国会の安保関連法案の審議は、日本の集団的自衛権の行使如何を契機とするものですが、委員会の質疑を見るかぎり、肝心の関連法案と集団的自衛がどのように関連しているのかは、かえって分かりにくくなっています。この資料は、現在の安保関連法案の審議と集団的自衛の関係について私見を述べたものです。

安倍首相の10日の衆院平和安全法制特別委員会の発言は、共同抑止としての集団的自衛の定義そのものになっています。

首相は集団的自衛権が行使できる「存立危機事態」の認定について(1)米国への攻撃が発生、(2)攻撃国から、日本にミサイル攻撃をする表明やそれを示唆する言動があり、日本への攻撃が予測されるか切迫している状況

(2)の場合には、日本に対する攻撃国に対して、日米安全保障条約により米国が集団的自衛を発動しているでしょう。これに(1)をあわせて集団的自衛を双務的(mutual)にするのが通常の在り方です。これは吉田首相がアイゼンハワーとダレスを相手にして日本の再軍備を拒否した際に、また岸内閣が60年安保で、佐藤内閣が70年安保で米国との同盟関係を国会の政治課題としたときに、つねに背景にあった問題です。日本の現行の集団的自衛(=日米安全保障条約)は、米国の他の集団的自衛の取りきめに比して片務的(partial)になっているのです。ちなみにお隣の米韓相互防衛条約(Mutual Defense Treaty between the United States of America and the Republic of Korea)は、立派に双務的なものになっています。

 安倍首相のイニシアティブの根底には、まず現在の東アジアにおける中国の台頭と脅威を前提として、米国との安全保障の連携を明確にするために、集団的自衛=同盟関係をより双務的にしようという意図があるものと考えられます。

次に現在の国会の審議についてですが、このような議論は集団的自衛=同盟関係の具体化に必然的にともなうものです。本質的に類似した議論は、冷戦時代のNATO各国でもさかんに行われていました。たとえばNATOのニュークリア・シェリングについて、オランダ国内の基地に対する米国の地対地戦術核ミサイルの配備反対運動はオランダの国論を文字通り二分しました。

集団的自衛は、集団的自衛のもとにある同盟国に対する攻撃を自国に対する攻撃と同様に見なすことによって、全体としての抑止力を向上させる体制です。ある意味で参戦をオートマティックにすることにより、抑止力を向上させる体制ですから、巻き込み・巻き込まれは必然になります。実際には、東アジアにおいては、日米安全保障条約により日本が米国を巻き込んでいる、というのが実態です。

この議論が何故、分かりにくいのか、というと次のとおりです。この点について政府=自民党の方針は60年代から現在まで一貫しています。つまり、それは他の国と同じ双務的な集団的自衛によって米国の戦争に参戦する義務を負うことを国民に説明することは不可能だと判断していると推察される、ということです。実際に、ほとんどの日本人は、日本が米国の世界戦争に非‐受動的・非‐限定的に、つまり積極的・全面的に参加する義務を自動的に負う、と考えたとたんに思考停止してしまうでしょう。この議論をオープンに始めるのはあまりにもリスキーで、したがって国会の論戦に乗りません。実際にこの問題は、法律論的・演繹的・ゲーム論的に考える場合にはオープンエンドで、十分な確度をもって答えることは出来ないのです。

ここで重要になるのが、集団的自衛のプラットフォームによって共同抑止が地域的には成立する、という歴史主義的・経験的・実践的な考え方です。集団的自衛(collective self- defense)は、国連憲章第51条が規定するもので、地域的安全保障=同盟関係によって各国の個別的自衛(self-defense)を補完・強化しようとするものです。

18世紀の国民国家体制(国家化Ⅱ)の成立以降、国際社会の安全保障はしだいに総力戦体制(total war system)によって担保されるかたちに変化しています。とくに1949年以降の国際社会の安全保障は、核抑止体制という究極的な総力戦体制による一見不安定な、しかし体制を異にする大国同士にあっては、これ以外にあり得ないパワーバランスによって維持されるようになりました。

第二次大戦の経緯から非核兵器国となった日本にとって、米国との集団的自衛=同盟関係の強化によって個別的自衛を補完・強化する以外の選択肢はありません。実際に49年から91年まで続いた東西冷戦で、日本の国軍である自衛隊は、極東でソ連軍を封じ込めるために重要な戦略的機能を果たしたのです。60年安保の岸内閣の選択、70年安保の佐藤内閣の選択は、この端的な表明であり、安倍内閣の選択はその継続に他なりません。しかしながら東西冷戦が、欧州のNATO正面、つまり西ドイツとポーランドの国境で闘われたのに対して、今回の正面は南シナ海にある点が様相を異にしています。

蛇足ながら付け加えれば、国連憲章は集団的自衛を、集団的安全保障体制(collective security system)が成立するまでの過渡的な国際社会の在り方だと考えています。集団的安全保障体制は、この体制をviolateする国家を国際社会全体=国連軍で鎮圧しようとする概念です。普通そうは言いませんが、これは国際社会の全構成員が単一の集団的自衛(collective self-defense)に参加することによって抑止概念を最大化させようとするものだ、と言えるかもしれません。このとき人類は安全保障の歴史において、はじめて国民国家体制を止揚することが出来る訳です。(国家化Ⅲ)まぁ、これが現実化するのは最後の全体主義大国が民主化し、これに続く東アジアの政治的混乱が終息してからですが… このような議論は、一部の専門家のためのものであって、一般の公衆の説明とするのは、あまりにも機微で、したがって国会の議論に乗らない、と政府が考えたとしても不思議はありません。

余談次いでに付け加えるならば、米国のトンデモ戦争ですが、その巻き込まれに対処する方法はいろいろあって、たとえば、戦争行為を国会の議決事項にしておいて、「国会が開かれていない」と言い張る方法が考えられます。あるいは、「今回の米国の戦闘行為は国際問題を解決する外交的手段であって、米国に対する攻撃とはみなされないので、日米安保の集団的自衛の発動の要件に該当しない」という言い方もあるでしょう。実際、83年の米国のグレナダ侵攻に付き合う義理も必要も日本にはありません。そんなことを米国は考えもしなかったでしょう。あまり不義理をすると米国人は怒るかもしれませんが、それが国際社会の大人の付き合いというものではないでしょうか。

2, 安保関連法案と現国会の見通し:現実主義者の希望的観測

それでは安保関連法案が現国会で成立する見通についてはどうでしょうか。以下ではこれについて国会中継などから推察しました。結論から言えば、60年代の社会党左派はすでになく、急先鋒の共産党、後続する民主党も採択を阻止するには力不足のようです。安倍政権は、91年以降の日本の国際貢献の実績を説明に使って、安全保障関連法案を何とか今国会で通すのではないでしょうか。

本稿の筆者の私見は、現在の安倍政権の安全保障政策は、歴史的に見て正統であり、戦略的に見て適切だ、ということです。湾岸戦争後の海自掃海部隊の派遣、カンボジアPKOの陸自工兵部隊の派遣も結局無駄ではなかったようです。ひょっとすると中国すら安堵しているかもしれません。それは日米の共同抑止体制の強化が戦争を始めないことの国内的な理由になり、米国との同盟関係が日本の個別的自衛による軍事力強化を不要にするからです。同様に、日本との同盟関係は米国の個別的自衛による軍事力強化のある部分を不要にします。自国の首相をファシスト、馬鹿もの呼ばわりするのは、いい加減に止めてはどうでしょうか?

しかしながらすでに述べたように、集団的自衛と現在の東アジアの戦略環境を主軸とする説明は国会の議論に乗らないとの判断を現政権は踏襲し、あくまでも91年以降の国際貢献の実績から説明する方針を採っています。また東アジアの戦略環境については、中国に言及することを避け、北朝鮮のミサイル発射問題を具体的な脅威として取りあげています。自衛隊の派遣と北朝鮮の核実験は実際にあったことですから、一概に野党も否定できないでしょう。逆に野党側が、かつての民社党のように本質論で論戦を仕掛ければおもしろいのですが、政府=自民党は、これには乗ってこないでしょう。

というわけで、この資料の観測が正しければ今後何百時間審議しても、説明は本質論の周りを周回する堂々巡りになります。まぁ、いたずらに公衆の危機感をあおるのは、アベノミクスの現状からみても得策ではありません。それにしても戦略の本質論と公衆に対する説明の乖離は不可避なのか、という疑問は残るでしょう。この疑問は、民主主義と熟議の問題として根深いのです。この乖離は、東西冷戦期に日本の安全保障政策に関する国会審議にあったのと同じものです。それとも日本人は、建前と本音を使い分ける劇場国家主義を徹頭徹尾演じ続けるつもりなのでしょうか?

それでは、具体的な委員会の遣り取りはどのようなものでしょうか。日本共産党の一般公開資料と国会中継から、10日の衆院安保法制特別委員会の遣り取りの一部を文章に起こしてみました。

穀田議員
イラク特措法事態では、イラク人を殺傷する寸前まで行っていったんではナイカ、ということを言っておるんですがな。危ないと思ったら撃て、と指示した指揮官がオオゼイ居た、というではナイカ、ということです。(大阪弁)
中谷防衛大臣
事実として5年間の活動中に1発の発砲もなく、立派に任務を遂行した、ということでございます。(中略)国連の決議による国際社会の安全を維持するという日本の貢献でございます。
穀田議員
今回の集団的自衛でそれを広げると、それが危なくなる、ということを私は言っておるわけです。
安倍首相
イラクでは自衛隊は正しい判断をし、相手を死傷することなく、またこちらも死傷者を出すことがなく、帰ってきたわけでございます。今後も自衛隊が正しく訓練をし、周辺事態においても同様の正しい行動が出来るであろう、と言っている訳でございます。
穀田議員
集団的自衛の前提としてホルムズ海峡機雷掃海が例に挙げられるので次にこれに移ります。機雷掃海は武力行使に相当するのか、他国の解釈を知りたい。
岸田外務大臣
機雷掃海は戦闘地域で行われるものでなく、受動的・限定的行動であると解釈できます。
穀田議員
後ろから貰ったペーパーをつかって一般論を読んだらあきまへんで。機雷掃海を受動的・限定的行動であるという国際法はないわけです。
安倍首相
受動的・限定的行動というのは日本の憲法的関係から言っているのであって、他国は集団的自衛権を行使している訳ですから、受動的・限定的行動であることを言う必要はないわけです。
穀田議員
米海軍では機雷戦を防衛的機雷戦と攻撃的機雷戦に分けて考えています。
中谷防衛大臣
相手によってすでに敷設された機雷に対する作戦は防勢的機雷処理であって攻勢的機雷処理と区別されます。
穀田議員
米軍はいずれの機雷戦も戦争行為として位置付けているんです。機雷の除去も戦争行為であって、能動的作戦ではないから受動的・限定的だ、という解釈は通用しない、ということです。つまり戦争に発展する可能性があるのではないか、と。
安倍首相
機雷の除去にもいろいろあるわけです。米国の場合は、機雷を除去して戦闘艦が入っていくことを考えている。しかしホルムズ海峡では事実上の停戦合意がなされていた状況です。集団的自衛権の行使にあたるけれども、実質上の停戦が成り立っているところで危険物を除去する、ということは受動的・限定的であろうと。
穀田議員
相手国から見れば、受動的・限定的ということはないのではないか。米軍は攻撃を受けることを前提として行動している訳です。最近も機雷戦によって紛争がエスカレートした事例があるではないか。1984年に米軍のフリゲート艦がイランの敷設した機雷に触雷して、米軍とイランの戦闘がエスカレートした実例があるのです。

※穀田恵二議員は1947年生、衆議院8期、日本共産党国会対策委員長、常任幹部会委員。

結局、ここで共産党が論点としたいのは、日本の集団的自衛権の行使が受動的・限定的だと言っても、実際には戦争に巻き込まれてエスカレートするのではないか、ということです。これは共同抑止が破れた場合には戦争に巻き込まれる、という危険性を指摘しているわけで、集団的自衛を否定するためには正しい論法です。しかしこの共産党の論旨を敷衍すると、個別的自衛による抑止に頼る以外なくなり、核武装を含む戦力増強を正当化することになります。つまり北朝鮮と同じ自力更生路線です。まぁ、共産党としては政権奪取のあかつきには個別自衛権に基づいて赤軍を大増強するでしょうから、一応の論旨は通っています。しかし非‐共産主義者の一般国民としては迷惑な話です。それにしてもこの遣り取りは、一種の予定調和的な堂々巡りではないのでしょうか。だれが馬鹿で、だれが馬鹿の振りをしているのでしょうか。

投稿者 : 山内康英

平宮康広氏の『世界史空間と世界経済の基礎的変化』を紹介します

[公文俊平] 2014-08-24 13:48:53

情報社会学では、近代化の分析にあたって、「S字波」のモデルを、社会の変化・進化過程を読み解くための、もっとも基本的な概念的「レンズ」(視点)として多用する。とりわけ、「S字波」の三つの主要局面、すなわち「出現」・「突破」・「成熟」の局面に注目する。

今回その前半を掲載する平宮氏の論文は、この視点(パースペクティブ)をさらに拡張して、四世紀以降の世界史の展開過程に適用した、興味深い試みである。この論文が多くの読者をえて活発な論議が起こることを期待する。

第一章から第五章までの更新と、第六章から九章までを新規に追加した。(2016/02/18 15:34追記) 第十章を追加、また各章をアップデートしました。(2017/02/07 08:22追記)

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

第七章

第八章

第九章

第十章

投稿者 : 公文俊平

6月17日 マルチステークホルダー・インターネットガバナンス研究会開催します

[お知らせ] 2014-06-10 10:00:00

      マルチステークホルダー・インターネットガバナンス研究会

                ご 案 内


  日 時:6月17日 午後6時30分~8時30分

  会 場:国際大学GLOCOM

         東京都港区六本木6-15-21ハークス六本木ビル2階

  定 員:40名(参加費無料)
 

日本におけるマルチステークホルダー(MSH)によるインターネットガバナンス・プロセスの強化に資することを目的として、 慶應義塾大学国際インターネット政策研究会(KIPIS)国際大学グローバルコミュニケーションセンター(GLOCOM)多摩大学情報社会学研究所(IIS)は共同して、「マルチステークホルダー(MSH)インターネットガバナンスについての特別共同研究グループ」を開始し、第1回会合を来る6月17日、上記の要領で開催いたします。

ご出席を希望される方は、ここをクリックしてお申込みください。

なお、私どもでは「日本のMSHインターネットガバナンスの強化のために」という政策提言論文をとりまとめ、皆様のご意見を反映させたうえで、6月下旬を目途に発表を予定しています。第一草稿は、以下からご覧になれます。皆様からのコメントをお待ちしています。

MSHGovernance0609.pdf

この研究会にぜひともご参加・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。



MSHインターネットガバナンスについての特別共同研究グループ

共同代表: ジム・フォスター(KIPIS)  アダム・ピーク(GLOCOM) 会津泉(IIS)

投稿者 : 会津泉

マルチステークホルダー・インターネット・ガバナンス(MSH)についての特別共同研究グループ

[お知らせ] 2014-05-20 07:00:00

マルチステークホルダー・インターネット・ガバナンス(MSH)についての特別共同研究グループ

                                        2014年5月20日

慶應義塾大学国際インターネット政策研究会(KIPIS)、国際大学GLOCOM、多摩大学情報社会学研究所(IIS)の三者は、共同して、「マルチステークホルダー(MSH)インターネット・ガバナンスについての特別共同研究グループ」を開始いたします。

 この研究グループは、日本におけるマルチステークホルダー(以下「MSH」)によるインターネット・ガバナンスの強化に資することを目的として運営され、6月末(あるいはそれ以前に)をめどに「コンセンサス文書(政策提言論文)」をとりまとめる予定です。

この研究グループの概要は、以下の通りです。

1. 発表するコンセンサス文書 「日本のMSHインターネット・ガバナンスの強化のために」

  主な構成:

●グローバルなMSHインターネット・ガバナンス - ベストプラクティスと今後の課題

●日本でのMSHインターネット・ガバナンス - 事実と課題

●グローバルなMSHインターネット・ガバナンスの可能な解決策と日本の選択肢

目的

ドメイン名に関する課題に焦点を置きつつ、プライバシーやサイバーセキュリティ、その他のインターネット関連の政策課題に関する日本におけるMSHコミュニティの関与のあり方にも触れ、国際的取組み、ベストプラクティスも含めた広汎な議論の材料を提供すること。

2.  5月下旬までに草稿をまとめ、KIPIS、GLOCOM、IISの各ウェブサイトに発表、研究者、政策関係者、企業および技術コミュニティなどに積極的に広報し、オンラインでのコメントを求める。

3.  6月17日、オープンミーティングを開催。会場:国際大学GLOCOM   参加者40名程度を想定。

  草稿を発表し、ゲストスピーカーからのコメントを受け、参加者全員で討論。

4. その後、オックスフォード・ディベイト、小グループのワークショップ形式の討論をGLOCOMで開催することも考えられる。

5. これらのインプットに基づき、最終的な「コンセンサス文書」をとりまとめて発表し、その内容に従って次のステップを検討する。

- 以上 -

投稿者 : 会津泉

ハイパーネットワーク社会研究所 <人事のお知らせ>

[会津泉] 2014-05-01

2015年3月末をもちまして、私、会津泉は、大分に本部を置く公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所の 理事長・所長の職を退任し、主席研究員に就任いたしました。なお、後任の理事長・所長には、大場善次郎さんが就任されました。

当初より、地元に本拠をもたないまま専任役員となることはあくまで「例外」と考えていましたが、ようやく次の体制にバトンタッチすることができました。この間お世話になった皆様には、厚く御礼申し上げます。

今後とも、公文先生のご指導のもとで取組みを始めた<ソーシャル・ファブリケーション>を中心に、情報社会の深化のための研究・実践活動を続けてまいる所存です。

ひき続き、皆様のご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2015年5月1日

会津 泉

投稿者 : 会津泉

経済界掲載インタビュー

[山内康英] 2014-02-18 21:13:52

経済界1003号から3回に渡って「経済界」に掲載された山内康英のインタビューを再掲します。

サイバーテロ政府・企業とも対応は待ったなし!
安全保障の観点からサイバー攻撃を研究する山内康英教授に聞く

日米両政府は10月3日、東京都内で外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を開き、自衛隊と米軍の役割分担を定めた「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を2014年末までに再改定することで合意した。

ガイドラインの改定は1997年以来、17年ぶり。これは、中国が軍事力を増やし、沖縄県・尖閣諸島周辺への海洋進出を進めていること、さらには北朝鮮が核・ミサイル開発を急いでいることなどに対応するためだ。合意は、日本側が米側に求めて実現した。

合意自体は、従来のガイドラインを見直すという点で、さほど目新しい点はない。しかし、そういう中で目を引いたのは、新たにサイバー防衛や宇宙での協力を申し合わせたことだ。サイバー攻撃問題に関する具体的な内容は今後、「サイバー防衛政策作業部会」を設置して検討していくのだという。

サイバー空間ではこれまで、中国や北朝鮮によるセキュリティ上の事案が日米両国に向けられており、今回の日米合意はこうした実情に両国が強い危機感を持ったからだと言えよう。

今回は、ネット社会での安全保障問題やサイバーテロリズム、ネットワーク・セキュリティー問題などを研究し、多くの著書や論文を発表している多摩大学情報社会学研究所所長代理の山内康英教授に登場いただいた。

セキュリティ問題が起きるまでネットワーク社会は明るく牧歌的だった

――山内さんがネットと安全保障との関係について研究を始めたのはいつですか。

山内 インターネット、つまりパケット通信の理論が世に出たのは1960年代ですが、所属していた組織が92~93年にインターネット接続を開始したため、この時期からネットとセキュリティの研究を始めました。

米国では93年にクリントン大統領が登場し、さっそくホワイトハウスのホームページを作りました。そこには大統領の娘のチェルシーさんが飼っていた「ソックス」という猫の写真がアップされており、それをクリックすると「ニャー」と鳴き声をあげる仕組みになっていました。ホワイトハウスにアクセスして、取材に来る記者の方に猫を鳴かせたりしたものです。

翌94年、クリントン大統領と羽田孜首相(当時)との間でインターネットを通じてやり取りすることになりました。実務を取り仕切ったのはゴア副大統領と熊谷官房長官です。急きょ首相官邸にサーバーを入れることになり、アスキーの西社長(当時)とご一緒に、国際大学GLOCOMがこの作業を手伝いました。「ドメイン名をどうしようか」ということになって、GLOCOM所長(当時)の公文俊平先生が「kantei.go.jpにしよう」と提案し、官邸は今でもこのドメインを使っているようです。

その後、95年秋にマイクロソフトが「Windows 95」を発売して、インターネットの商業化が始まりました。「Windows 95」(OSR2以降)はTCP/IPをバンドルしていて、インターネットに誰でも繋ぐことが出来るようになったわけです。

それらを見聞しながら、インターネットをめぐり何が起きているのだろうと研究を続け、その後、『現代日本の国際政策――ポスト冷戦の国際秩序を求めて』(有斐閣選書)の中に「情報化時代の情報と外交」と題した論文を寄せました。この論文は、東大時代のゼミの教官だった渡辺昭夫教授の勧めを受けて書いたものです。本は渡辺教授が編者になり、97年4月に出版されました。


95年の時点で予測できなかったサイバー攻撃の激化

――その本の中で山内さんは「インターネットの展開とその可能性」の項を立て、「インターネットのような情報基盤としてのコンピュータ・ネットワークがさらに発展した場合、国際社会の情報の流れはどのように変化するのだろうか」と自問していますね。

山内 95年の時点で考えていたことを書いたわけですが、そのポイントは「コンピュータ・ネットワークが持つ最大の潜在力は、国境を越えた情報の提供が、これまでの情報伝達の手段とは比較にならないほどの容易さで行われるだろう」「インターネットが持つ情報伝達の双方向性は、国家やNGO(非政府組織)、企業といったこれまでの国際社会の様々な主体が持っていた情報経路を大きく変えるだろう」ということでした。

この頃、国際的に影響力の大きいNGO「アムネスティー・インターナショナル(国際人権救援機構)」がホームページを公表しました。そこでは地域ごとのケースワーカーの住所をオープンにし、「人権侵害があったら、ここにメールしてほしい」と呼び掛けていました。インターネットのこういう使い方は、それまでなかったことです。従前ならマスメディアに広告を出したりするしかなかったわけですから。

こうした動きを見て、今後、インターネットは一種のプロパガンダ(宣伝)やインテリジェンス(情報/諜報)に使われるだろうということまでは予測できました。しかし、インターネットがサイバー攻撃に使われることになるとは95年の段階では予想できませんでした。ただし、この項の末尾の「注」の中に「ネットワーク化が進んだ社会は、これを利用した犯罪やテロ活動に対して脆弱になる」という一文を書き込むことだけは出来たのですが……。

いずれにしても初期のインターネットは牧歌的でした。インターネットの出発点が大学の研究者や技術者のコミュニティーだったからです。「これから国境がなくなるね」「お互いに支え合おう」などとバラ色で楽しい時代だったと言ってよかったわけです。

しかし、95年ごろから米国で「デジタル・パールハーバー(電脳真珠湾攻撃)」の懸念が出始めるようになり、事態は大きく変わっていきました。

「デジタル・パールハーバー」から「社会的ハクティビズム」へ

――「懸念が出始めた」とは、どういうことでしょうか。

山内 「デジタル・パールハーバー」は、国際テロリスト・グループが電信、電力、金融、行政ネットワークなどの重要インフラをサイバー攻撃する可能性があるというものでした。これを受けて各国で重要ネットワーク・インフラ防護がテーマになりました。実際に9・11世界貿易センタービル同時多発テロを契機に、世界の安全保障の関心は、イスラム原理主義などのGlobal War on Terrorismに向かったのです。

しかし、2008年ごろから「それは違う」という分析が出てきました。この点を明確にした一人が戦略国際問題研究所(CSIS)テクノロジー・公共政策部長兼上級研究員のジェームス・ルイス氏でした。彼は「サイバー空間の最大の脅威は国際テロリストではなく主権国家だ」と明言しました。これは、インターネットにかかわる脅威認識が、次の段階に移ったことを意味しています。このころ日本でもいわゆる標的型電子メール攻撃──spear phising──が始まっていました。国家がインテリジェンスを目的としてサイバー空間を使い始めたということです。

――具体例は?

山内 民間研究機関の配布資料のPDFに、日本の近隣にある国がマルウェア(悪意のある不正ソフトウェア)を仕込み、それを防衛機関の職員に送りつけるという事件が起こりました。狙われた職員が資料を開くと、その職員のパソコンが乗っ取られて情報が吸い取られる、という手法です。相談を受けてわれわれは「ハニーポット(蜜の壺)」を作り、攻撃した国を割り出そうとしました。「ハニーポット」はスパイの世界で、たまさか話題になる「ハニートラップ(甘い罠)」をもじったもので、侵入手法やウイルスの振る舞いを調査するために、インターネット上にわざと侵入しやすいように設定したサーバやネットワーク機器を置くことです。

ルイス氏の話に戻りますが、CSISでルイス氏とは次のような話をしました。①インターネットは、その国の社会状況を映す鏡みたいなものだ。SNSを定点観測していれば、その国の社会の動向や弱点が分かる。新しい形のインテリジェンス(情報/諜報)であり、インターネットはオープン・ソース(公開情報)そのものだ、②サイバー攻撃が国レベルで起きるとしたら、それは全面戦争に先立って、通信施設の破壊や兵站の攻撃などの後方攪乱に使うだろう、③当然のようにどの国も、インターネットをプロパガンダ(政治宣伝)のツールとして使うようになるであろう、④秘匿通信、プロパガンダ、メンバーのリクルートの経路として、国際テロ集団はインターネットに依存している。テロ集団はグローバルなネットを攻撃しないだろう、といった点でした。要するにルイス氏と合意したのは、「安全保障上のサイバー攻撃の脅威は、国家による軍事攻撃の一環としての利用であって、インテリジェンスとプロパガンダは、一種の脅威ではあるが別のカテゴリーであり、クレジットカード番号の詐取などの組織犯罪は、脅威としては、これとはさらに別のカテゴリーだ」ということでした。 こういう中で1999年3月、旧ユーゴスラビアのコソボ紛争の際、在ベオグラードの中国大使館誤爆事件が起き、怒った中国のハッカーがホワイトハウスや米国の空軍基地にサイバー攻撃を仕掛けました。

――これが新しく顕在化したサイバー攻撃の可能性だということでしょうか?

山内 ちがいます。これは従来なら大使館の前に行って、国旗を燃やしたり、シュプレヒコールを叫んだりした政治活動が、ネットの中で行われるように変わったということです。これらの活動を、ドロシー・E・デニング米海軍大学大学院教授(安全保障分析担当)は「ハクティビズム」と名付け、「ハクティビズムは政治活動だ」と論じました。政治活動には最大限の自由を認めるべきです。

――ハクティビズムというのは聞きなれない言葉ですね。

山内 「ハッキング」と「ポリティカル・アクティビズム(政治活動としての行動主義)」を合わせて造った言葉だそうです。ハクティビズムの典型は、ウェブ・ページの書き換えや、時間を指定したDoS(デナイアル・オブ・サービス)攻撃です。前者はwebのセキュリティを突いて、相手組織のホームページを書き換え、こちら側の主張を載せてしまうもの、後者は大勢の参加をネットで募って、時間とアドレスを公表して一斉にアクセスし、相手組織のwebを止めてしまうというものでした。2000年頃から、日本とアジアの近隣国の社会の間に、感情の対立の原因となる事件が起こるたびに、とても大きな社会的ハクティビズムの応酬があったのです。まぁ、実際にやっていたのは、どの国でも愛国心に燃えた中学生や高校生、2チャンネル用語で言えば「厨房」だったのですが。 しかしハクティビズムにも、次第に主権国家が影響を及ぼすようになってきました。たとえば2008年8月、北京オリンピックの開催をまえにして、聖火リレーの際に中国政府がとった行動です。この聖火リレーはギリシャから北京まで世界中を走ったのですが、ランナーの出走に併せるかたちで、チベット独立運動の行動家がデモンストレーションを行いました。これに気付いた中国政府が、『強国論壇』(国営メディアの大規模掲示板)で、「聖火を防護せよ」とのメッセージを、世界各国の華人コミュニティーに送ったのです。これを受けて世界の華人コミュニティが反応し、たとえばメディアの報道中に、中国国旗を掲げてチベットの旗を取り囲んで外から見えないようにしました。よく考えて見ると、この中国政府の行動は、潜在的にとんでもない意味を持っていました。

軍事攻撃の一環としてサイバー攻撃を警戒すべき時期に来ている

――「潜在的な意味」とはどういうことでしょうか。

山内 国家が、相手国に居住する自国のエスニック・グループに、インターネットを通じて、サボタージュや後方攪乱を示唆するメッセージを送れば、それが実現する可能性がある、ということです。聖火防護活動を通じて、中国政府は、人民戦争の人海戦術に世界中を巻き込める、核兵器や通常兵器の劣位を情報戦争で補うことができる、と気付いたのではないでしょうか。

2008年8月には、もう一つの重要な事象が起きています。黒海の東岸で、グルジアとロシアの間で起きた南オセチア紛争です。ここでは、南オセアチアの領有権をめぐって、両国が陸・海・空軍を投入し、激しい戦闘がありました。

この南オセチア紛争で、ロシア側は地上軍の進攻に先立って、大規模なハッキングを行い、グルジアの通信ネットワークが国際幹線をふくめて麻痺しました。このハッキングには、Russian Business Netoworkなどのロシアの組織犯罪グループ(マフィア)が協力したと言われています。これは国家によるサイバー攻撃を隠蔽するためです。重要なのは、ロシアがハクティビズムを装いながら、実際は軍事進攻の前段階として、サイバー攻撃を仕掛けた、ということです。

先に、米国の戦略国際問題研究所(CSIS)テクノロジー・公共政策部長兼上級研究員のジェームス・ルイス氏と、「サイバー空間の最大の脅威は国際テロリストではなく主権国家だ」「サイバー攻撃が国レベルで起きるとしたら、それは全面戦争に先立って、通信施設の破壊や兵站攻撃などの後方攪乱に使われるだろう」という予想で一致した、と述べました。グルジア紛争は、まさにこの予想の実現だと見えたのです。これは、国際テロリスト集団による重要インフラ攻撃から、国家によるサイバー攻撃対処に政策を転換すべき時期を迎えている、ということです。

――2013年3月20日、韓国の主要放送局や金融機関が大規模なサイバー攻撃を受けました。攻撃したのは北朝鮮偵察局だと言われていますが、これもグルジアでの紛争と同じサイバー攻撃だ、ということになりますか。

山内 そう考えるべきでしょう。北朝鮮は、陸軍が38度線を突破する前に、韓国の情報ネットワークを攻撃する能力をデモンストレートした、と見るべきです。今回、北朝鮮が韓国をサイバー攻撃する間、韓国と米国は合同軍事演習「キー・リゾルブ」を実施していました。米空軍のB52爆撃機が、19日にグアムのアンダーセン空軍基地から韓半島に飛来し、北朝鮮に対して「核巡航ミサイルで先制攻撃できるぞ」と威嚇したわけです。北朝鮮は、これに対抗して「わが国も先制攻撃できるぞ。それはサイバー攻撃だ」と、その能力を誇示したのではないでしょうか。

この北朝鮮の攻撃は、韓国側の心胆を寒からしめたのではないか、と思います。攻撃の発端が、韓国国内に潜入している多数の北朝鮮工作員による可能性があるからです。今回のサイバー攻撃で使った技術は、特別なものではなく、普通の「MBR(マスター・ブート・レコード)攻撃」だったようです。MBRはWindowsパソコンの電源を入れた際、最初に読みにいくプログラムですが、今回のウィルスは、これを選択的に破壊し、感染したPC3万台が起動しなくなりました。工作員が各企業のLAN内のアップデート用のサーバーなどに直接、ウイルスを仕込んだ可能性もあると思います。

このことは、ある意味で日本に対する警告にもなります。日本にも北朝鮮の工作員が潜伏していて、重要インフラの制御システムにウイルスを仕込んだらどうなるか――といったやっかいな問題点を含んでいるからです。

――韓国で起きたようなサーバー攻撃を受けた場合、自衛権を行使して相手国を攻撃できるのでしょうか。

山内 軍事活動の一環としてのサイバー攻撃は、国際社会の真空状態で起きるのではなく、両国の緊張関係と武力攻撃の蓋然性が高まって、いわば一触即発の段階になってからでしょう。その際、急迫不正のサイバー攻撃があった場合に、相手国のサーバーを破壊することは専守防衛の観点から言って可能だと思います。相手国は何段階もの“踏み台”を作って攻撃してくるかもしれませんが、軍事侵攻がサイバー攻撃に続くわけですから、相手を特定するも何もありません。大事なのは、そうした段階に至る前に、サイバー空間でも防御態勢を整え、常時、相手国の動向を見ているということです。もしも攻撃頻度が上がったら、「日本はちゃんと見ているゾ」というサインを出して攻撃を抑止していくべきでしょうね。

編集構成:仮野忠男/政治ジャーナリスト、元毎日新聞論説委員

投稿者 : 山内康英

ハイパーネットワーク社会研究所 <人事のお知らせ>

[会津泉] 2013-06-10 15:00:00

5月末をもちまして、私、会津泉は、大分に本部を置く、公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所の 理事長・所長に就任いたしました。本研究所の主任研究員としての務めも、引き続き続けてまいります。

ハイパー研は、1993年に創設され、初代所長に公文俊平先生(多摩大学情報社会学研究所所長)が就任され、 その後、字津宮孝一先生(大分大学教授)が二代目所長となり、今回私が三代目の所長を拝命しました。 また、4月1日に公益財団法人に移行し、字津宮先生を継いでその理事長にも就任いたしました。

ハイパー研は創立20周年を迎え、あらたな20年に向けての歩みを始めています。 とくに、<ソーシャル・ファブリケーション>が次の大きなテーマになるとの仮説のもとに、あらたな 展開に向けて、しっかり足場を固めてまいりたいと考えております。

詳しくは、以下をご覧ください。

http://www.hyper.or.jp/article.php/20130604172739682

皆様のご支援、ご理解のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2013年6月10日

会津 泉

投稿者 : 会津泉

Izumi Aizu - Profile

[会津泉] 2013-06-10 12:00:00

Izumi Aizu Bio (as of Jan, 2016)

iza@anr.org, www.anr.org

Senior Research Fellow and Professor, Institute for InfoSocionomics, Tama University

Principal Researcher, Institute for HyperNetwork Society

Born in 1952, Mr. Aizu joined the printing industry in 1971 after graduating from high school. In 1976, he joined the international advertising, marketing and public relations business as sales and planning manager.

In 1984, after spending a few years in the technical communications field to produce software manuals for PC products, he encountered with the emerging computer networking activities in the United States. In 1986, he co-founded the Institute for Networking Design, a think-tank specializing in computer conferencing in Tokyo. He also served as Secretary General of the Networking Forum, annual national conference on PC-based networking in Japan from 1987 to 1992. He has promoted both local, community-based networking and global, cross-border human networking by connecting the PCs through telecom networks. He has also made several rounds of research work on the status of PC networking in the U.S., Videotext in Europe, E-mail and Computer conferencing in Japan, US and Europe as a comparative Study.

In 1990, he organized “HyperNetwork Conference - look into the future of Network Society in 25 years from now” which In 1993, he co-founded Institute for Hyper Network Society (IHNS) whose main office is in Oita, a local city in Kyushu Island, and actively promoted community networking with grassroots citizens.

In 1991, he joined the newly established GLOCOM (Center for Global Communications), at the International University of Japan, as Head of Planning. After attending INET 92 in Kobe, he started to promote Internet in Japan: giving strategic advises to ICT and media industries, national and local government agencies, working on policy and strategic issues in global context with strong focus on Asia. He was also vocal in pushing the Internet against the strong policy debate of whether the dominant Telco, NTT, should be broken up by the Government as a form of new regulatory policy. Together with colleagues at GLOCOM, he pointed out that incumbent telecom network was not the central issue, rather, giving birth to the Internet is. GLOCOM also helped Japanese government and industry leaders to communicate with US counterparts including the Clinton administration.

In 1997, he moved to Kuala Lumpur, Malaysia, and founded Asia Network Research, an independent research unit dedicated to promoting networking in Asia-Pacific region, focusing on societal aspects of the Internet, including global governance and digital divide issues. Between 1998 and 2000, he also worked as Secretary General of the Asia & Pacific Internet Association (APIA), a trade association representing Internet business community. Under that capacity, he was heavily involved in the process of forming ICANN (Internet Cooperation for Assigned Names and Numbers) including hosting the IFWP meeting and the first ICANN meeting both in Singapore.

In 1999, he co-organized the global campaign on Y2K on Internet. He was instrumental in creating the Internet Y2K Coordination team in Japan with technical and operational community, as well as liaised with the US counterparts including Y2K Council at the White House and people from Department of Commerce.

In April 2000, he moved back to Tokyo where he continues the research work on promoting the Internet in Asia. He represented Japanese NPO under the government’s requests to GLOCOM, for the Digital Opportunity Task Force, or DOT Force, initiated by the G8 to address digital divide issues. GLOCOM led the debate at the “Universal participation for new and emerging field”, to help developing countries participate in such process as ICANN, W3C, etc. In 2001, he was again asked by the government to organize supporting Asian NGOs and Civil society member to participate the preparatory process of WSIS (World Summit on the Information Society).

In April 2002, he was promoted to Deputy Director at the Institute for HyperNetwork Society, and in August 2004 he co-found Internet Governance Task Force of Japan (IGTF-J) to engage in the international debate on Internet Governance at the WSIS Working Group on Internet Governance set by the United Nations. He worked as the Secretary of IGTF from 2004 to 2006.

In March 2008, he was appointed as Professor at Institute for InfoSocionomics, Tama University, and in May 2008, he was appointed as the Secretary for the Satellite Broadband Promotion Council of Japan.

In 2009, he co-founded Japan Internet Domain Name Council in charge of the selection and oversight of new Internationalized Country-Code TLD, “dot Nippon” and became a member of its Steering Committee. JIDNC concluded its work in 2011.

In 2010, he was elected as one of the Co-coordinators of the Civil Society Internet Governance Caucus, the civil society voice engaging in the Internet Governance Forum (IGF). He was also selected as the member of the CSTD Working Group on the improvement of the IGF from the civil society.

In 2011, after the East Japan Great Earthquake, he proposed to initiate the relief works using ICTs to the devastated areas which led the foundation of Information Support pro bono Platform, iSPP, a not-for-profit organization with some 100 members. Mr. Aizu led a research project on “How people behaved with ICT – what they could rely on and what they could not” – issued a detailed statistical report and also wrote a book published in Mar, 2012.

He started to research and promote "Social Fabrication" since 2013, helped to setup FabLab Oita, participated in several FabLab related conferences, organized workshops including "Future of Industry, Mobility and Making (FIMM)" unConferences starting one in Paris, March 2015, then in Rotterdam, Toyota, Yokohama and Oita in 2015.

He served as the Executive Director of the Institute for HyperNetwork Society from May 2014 until March 2015.

Publications

His publications in English include:

“Ensuring a Truly Global Policy-Making Process”, OnTheInternet, newsletter by Internet Society, July 29, 2000 “Why Asians Should Join The Domain-Name Fray”, ASIAN WALL STREET JOURNAL, Feb 28, 2000 “The Emergence of Netizens: The Cultural Impact of Network Evolution in Japan”, NIRA Review, Fall 1995. “Not problems, opportunities”, An interview with NTT President Masashi Kojima, WIRED, Dec. 1994 “Co-emulation: The Case for a Global Hyper Network Society”, Shumpei Kumon and Izumi Aizu, a chapter in "Global Networks”, Linda Harasim ed, MIT PRESS 1994 “BEYOND NETWORK NEUTRALITY, The State of Play in Japanese Telecommunication Competition”, co-authored with Judit Bayer, Telecommunication Journal of Australia, July 2009 “Japan” chapter for Global Information Society Watch 2009, Association for Progressive Communications, under the theme of Content Regulation, Green ICT and Disaster and the use of ICT in 2009, 2010, 2011 respectively.

His books in Japanese include:

“Internet Governance: Ideals and Reality” (2004) “Net Revolution from Asia” (2001) “Easy Steps to Internet Business” (1996) “Evolutionary Network” (1994) “PC Network Revolution” (1986) “The Report on Personal Computer Networking in US” (1985) His translation works from English into Japanese include: “Groupware” by Robert Johansen (1986) “Odyssey” by John Sculley (1988) “Networld” by Albert Bressand (1991) “Virtual Community” by Howard Rheingold (1995) “Smart Mobs” by Howard Rheingold (2003, co-translated)

Awards:

He received David Rodale Award from Electronic Networking Association in 1988 for his contribution to 'building the global communities'; Plaque of Appreciation from EMPAL (Electronic Mail Pal) of Korea in 1990; Award of Excellence for his book "Evolutionary Network" in 1995 from Telecommunications Advancement Foundation in Japan; and Best Author Award in 1996 for his paper “Emerging Internet” in Japan's Information Processing Society Journal.

He is currently member of the following committees and associations: Study Committee on smooth adoption to IPv6, Ministry of Interior and Communications (since 2009) Member, Civil Society Internet Governance Caucus (since 2003) Advisory Committee, Asia Pacific Internet Conference on Operational Technology (APRICOT) (since 2002)

He was member of the following international committees and associations:

Vice Chair, Electronic Networking Association (1990-1992) Vice Chair, Asia Pacific Networking Group (APNG) (1994-1998) Membership Advisory Committee (MAC), ICANN (1998–1999) Advisory member, Internet Policy Program at Aspen Institute (1998-2001) International Advisory Panel, Asia Pacific Development Information Program (APDIP) at United Nations Development Program (UNDP). (1999-2001) G8 Digital Opportunity Task Force, representing Japanese NPO (2000-2002) Advisory, Internet Content Rating Association (ICRA) (2000-2003) NGO and Academic ICANN Study (NAIS) (2001-2002) ICANN AtLarge Advisory Committee (ALAC), elected from Asia Pacific AtLrage Organization (APRALO) (2003-2008) High-level Advisor, United Nations Global Alliance for Information and Development (2006-2008) Member of ICANN AtLarge Advisory Committee (ALAC) (2003-2008) Council, Internet Association Japan (since 1993) Member of Steering Committee, Japan Internet Domain Name Council (2009-2010)

He also served for the following Governmental and other committees: PC Communications Study Group, Ministry of International Trade and Industry PC Communications Study Group, Ministry of Post and Telecommunications PC Communications Study Group, Ministry of Home Affairs [All three different study groups by different ministries at the same time; 1985-1986] Study Committee on Domestic Communication Appliance, Ministry of Post and Telecommunications (1988-1989) Telecommunication Technology Committee, Working Group on Network viewed from Outside, Nippon Telephone and Telegraph (NTT) (1993-1996) Information Technology Study Committee, Ministry of International Trade and Industry (MITI) (1990-1993) Information Technology Standardization Study Committee, National Industrial Research Institute, MITI (1995-19) Mobile Number Portability Study Committee, Ministry of Interior and Communications (2003-2004) Secretary, Internet Governance Task Force of Japan (2004-2006) Communication Service Platform Study Group, Ministry of Interior and Communications (since 2008) Study Committee on Internet Policy, Ministry of Interior and Communications (2008-2009)

His research and advocacy focus is the effective and proper use of Internet in society, including policy and strategic issues, based on the end-user's viewpoint and value. He is interested in forming global culture through The Net, linking people to people through heart-to-heart communications in the cyberspace and in the real world. His recent focus is Asia and social development in policy issues, user participation, security and safety, and the governance of network society. He is married and has four daughters and four grandchildren.

投稿者 : 会津泉

事務所移転のお知らせ

[お知らせ] 2012-12-12 17:36:15

本研究所はこのたび以下に事務所を移転しました。旧事務所から徒歩2分のところです。なお、電話・FAX番号に変更はありません。

詳しくは、お問い合わせのページをご覧ください。

新住所
〒153-0064
東京都目黒区下目黒4-11-18
マンション清水台308

Tel: 03-3712-3758
Fax: 03-3712-3485
Mail: office@ni.tama.ac.jp


投稿者 : 多摩大学情報社会学研究所事務局
  1. [1]
  2. [2]
  3. [3]
  4. [4]
  5. [5]
  6. [6]
  7. NEXT >