1.2. イトーの唱える創発民主制

 私がひごろ愛読しているメーリング・リストの一つに、「インターネットの祖父」と自称するデービッド・ファーバー *1 が運営している IP (Interesting People) がある。なんでも世界中で二万人を超える情報技術者や情報社会の研究者たちが加入しているというリストなので、情報も豊富だし、ここに投稿するとグローバルな発信効果も期待できる。二〇〇三年の二月に、このリストで、ジョイ・イトーが日本で革命運動を起こすといっているというニュースが流れた。ジョイは一九八〇年代のパソコン通信時代以来の旧知の仲である。そこで、さっそく彼のブログに行ってみたら、たしかにそういう趣旨の発言があったので、それなら私も応分の支援をしたいという趣旨の書き込みを残してきた。 *2

 そうすると三月になって、彼から会いたいという連絡があり、彼が最近書いた「Emergent Democracy(創発民主制)」という題の英文の論文の日本語訳をしてくれる人物を探しているというので、それならお安い御用だと引き受けることにした。 *3
 この論文のユニークなところは、ジョイが仲間たちとブログ上で行った侃々諤々の議論を、彼がまとめていることだ。つまりそれはインターネットを使った一種の共働著作なのである。ジョイにいわせると、この論文は、いまでこそ筆者がジョイの個人名になっているが、いずれはもっとさまざまな人びとの手がはいって、さらに大きく書き換えられていくだろう。そうなると、「それはボクが書いた論文ではなくて、ボクが着手(initiate)した論文と呼びたい」と彼はいう。
 ところでジョイたちがもっている問題意識は、次のようなものだ。今日のインターネットはようやく、さまざまな新しい技術を生み出すまでに進化してきた。もちろんどんな技術であれ、技術は中立的なので、これらの新しい技術がテロリストや専制政治体制の強化のために使われる可能性も否定できない。しかし、これらの技術を賢明かつ効果的に利用するならば「権力が企業や政府に集中した結果として腐敗してしまった民主制が、本来もっていた基本的属性を支援するような」新しい政治モデルの構築が可能になるだろう。つまり、今日の代表民主制とは異なる新しい民主制――「直接民主制」――を「創発」させることが可能になるだろうというのである。ジョイたちは、今日の民主制の腐敗の例として、知的財産の保護の行き過ぎがもたらすアイデアのイノベーションの逼塞や、政府やマスメディアによるプライバシーの侵害などをあげている。それに対置させる形でジョイたちが掲げる新しい理念の例としては、「公衆が体制をモニターして新しいレベルの透明性を提供するスーベイランス *4 それを可能にしてくれるのが、これまでのマスメディアの能力を超える、ブログのようなインターネットの新しい技術だというのである。あるいはまた、大衆迎合的な無責任なものになりかねない在来型の世論調査に代えて、今日の情報技術が生み出しつつある「審議型世論調査」と呼ばれる「小集団での討議の形で進められる審議を科学的なランダム・サンプリングと結合する」調査方式を採用すれば、税制のような比較的複雑な問題についても、人びとのより高度な理解を自己組織的に創発させ表明させることが可能になると期待する。つまり、一人一人の人びとが全体を知って理解しなくても、集団としての人びとがより高度な全体的理解を生み出すことが可能になると期待するのである。それはあたかも、個体としてはごく低い知性しかもっていないアリの群落が、全体としては高度な知性を創発させているのに似ている。
 ジョイたちのこのような考え方は、スティーブン・ジョンソンの著書『創発』 *5 が巧みに要約・紹介している複雑系の理論における「創発」現象に、その基礎をおいている。一言で言ってしまえば、「創発」とは、比較的単純なローカルな規則にしたがって行われる個体間の相互行為が、なぜかあらかじめ予想もつかないような複雑で高度なグローバルな秩序を、「自己組織的に」生み出すことをいう。そのさいジョイたちはとくに、それ自体はかなり以前から存在していたブログの技術が、読者からのフィードバックを可能にしたり、グループが共有するウェブページをメンバーが容易に作成・編集できるようにしたり、ブログ相互間のリンク張りや他人が自分に対して張っているリンクの発見や分析を支援したりする、各種の付加的なツールと併用されるようになった結果、突如として自己組織的に急速に普及し始めたことに注目している。おそらくそこから、なんらかの新しい社会秩序が創発してくるに違いない。それはいったいどのような種類の秩序になりそうだろうか。
 ここでの創発型の自己組織過程に参加しているのは、とりわけその中核にいるのは、自覚した、そして高度な情報技術力をも備えた市民たち――私の用語でいえば智民たち――である。 *6 彼らは、必要なツール、とりわけブログの機能を高度化したり使いやすくしたりするツールも、自前でプログラムする能力ももっている。そればかりか、ジョイのあげている例でいえば、イスラエルとパレスティナで活動しているピースワークという名前のグループは、「電話とインターネットによる世論調査を通じて平和を望む一般市民の声を集め、その結果をレポートやマスメディアで発表することで、彼らの声を増幅している」。ジョイによれば、それは、「選挙された代表に影響をおよぼすという在来的な手法をバイパス」した方式なのである。つまり、彼らは、自分たちの設定した目標を自分たち自身で直接実現しているのである。ジョイはまた、ある研究会 *7 で彼自身のグループが試みた目標達成活動の例を報告している。それによれば、彼のブログ仲間のなかには、イラクに住んでいて現地の詳細な情報を直接発信してくる信頼するに足りる若者がいる。ところで、既存のマスメディア、たとえば米国のある大週刊誌には、イラクの実情に関する情報がいかにも少ない。そこで同誌に苦情を伝えたところ、(1)信頼すべき情報源がない、(2)読者の間にはそうした情報に対するニーズが少ないという答えが返ってきた。これに対してジョイは、彼のブログに寄せられる多数の市民の声を実例としてあげることでイラクの情報へのニーズの強さを証明すると同時に、信頼すべき情報源を同誌のために彼のグループが提供できることをも示した。その結果、同誌の編集方針を動かすことができたというのである。
 こうした積極的な行為は、まことにすばらしいと思う。しかし、上にあげたような各種の積極的な行為、とりわけ「選挙された代表に影響をおよぼすという在来的な手法をバイパス」した行為は、直接民主主義的ではあるかもしれないが、既存の代表民主制にとって代わる新しい政治システムとしての「直接民主制」の例とまでいえるのかと考えると、いささか首を傾げざるをえない。それらはむしろ、個々の企業が、何をどれだけ作っていくらの値段をつけて市場に出すかを、政府と相談したり政府の指令を受けて行ったりしているのではなく、自分の責任で自由に決定し実行しているのと同様な行為なのではないか。そうした活動は、少なくとも今日の近代社会においては、(間接)民主制の統治システムのなかで定められ施行されるルール――民法や商法など――にしたがって行われてはいるが、それ自体は民主制とは直接の関係はない。同じことは、この本で私が取り上げているさまざまな「智民アクティビズム」についても、妥当するだろう。
 ただし、今日の情報社会にはまだ、産業社会で広くプレーされるようになった「富のゲーム」に対応する、私のいう「智のゲーム」 *8 とでも呼ぶべき社会的ゲームは、十分に発達しているとはいえない。そのルールも制度化されてはいない。しかし、情報化が進展するなかで、こうしたさまざまな先例が積み上げられ、さらに複雑な相互行為のパターンや構造がそれこそ自己組織的に生み出されてくるとすれば、そこに「智のゲーム」を中核として含む新しい社会秩序が、いずれは「創発」してくると期待してよいのではないだろうか。そして智のゲームの正統性やそれを律するさまざまなルールは、近代社会の統治システムのなかで承認・決定され、施行されることになっていくのではないか。しかも、かつて産業化が「市民革命」を通じて近代主権国家の統治システムの「民主化」をもたらすきっかけになったように、これからの情報化は、いってみれば「智民革命」とでも呼ぶことができる政治変革の過程を通じて、もはや「民主主義」という観念そのものを超えるような新しい分散的な社会運営システムを、成熟局面に達した近代社会にもたらすことになるのではあるまいか。そうだとすれば、今日のわれわれが直面している社会変化は、「創発民主制」というよりは「創発革命」と呼ぶことがはるかにふさわしい、広くかつ深いものになると期待してよいのかもしれない。

*1 : 前ペンシルバニア大学教授で、最近カーネギー・メロン大学に移った。彼は、クリントン政権の末期に、米国連邦通信委員会(FCC)の主任技術者(Chief Technologist)も務めたことがある。「インターネットの祖父」という話についてはhttp://www.upenn.edu/gazette/0502/0502gaz4.htmlを参照。

*2 : ジョイのこの発言は、下記のwiki ページにアーカイブされている。
http://joi.ito.com/archives/2003/02/05/my_draft_essay_about_the_revolution_in_japan.html
ただし、いま確認してみると、それに加えられているさまざまな読者からのコメントの中には、私のものは見つからないので、多分私は別のところに書き込んだのだろう。

*3 : 日本語訳は、http://www.glocom.ac.jp/odp/library/75_02.pdfで入手できる。

*4 : 監視を意味する英語は「サーベイランス」、つまり上からの監視だが、それに対する「スーベイランス」とは、下からの監視を意味する。」があげられている。 

*5 : ジョンソン[二〇〇四]。ジョンソンの議論については、本書の第五章でより詳しく紹介する。ちなみにジョンソンの原著は二〇〇一年の出版で、山形浩生氏によるその邦訳は、最近出版されたところである。この訳書には、訳者の山形氏による批判的な――その多くは私には正鵠を得ているとは思い難い――訳注が、原注に紛れ込ませる形であちこちに付けられているのに、訳者のあとがきも解説もいっさいない。これはほとんど奇観である。 

*6 : ちなみにいえば、ジョイの組織した「創発民主制」の議論に参加しているメンバーのなかには、ジョイ自身をも含めて、ハワード・ディーンの「ネットワーク顧問ネットワーク」のメンバーとなっている人が少なくない。 

*7 : 第五〇回公共哲学京都フォーラム、二〇〇三年九月二七日。

*8 : 「智のゲーム」については、公文[一九九四]の第九章を参照されたい。なお、私が最初にそれについて論じたのは公文[一九七八-一]だったが、その時には「致知ゲーム」という名称を使っていた。 

目次

第一章:自前主義と創発する革命
1.1. ディーン・フォー・アメリカ
1.2. イトーの唱える創発民主制
1.3. 住民プロデューサー
1.4. J-Kids大賞
1.5. オープンソースと共の理念

第二章:社会変化を捉える眼
2.1.1. 社会変化のS字波
2.1.2. S字波に関する注記:
2.2.0. 近代化過程へのS字波的視点の適用
2.2.1. 深度0の眼:諸文明の継起
2.2.2. 深度1の眼:近代化の三局面
2.3.3. 深度2の眼:近代化の三局面のそれぞれを対象とする分析
2.4.4. より高深度の眼:深度3および深度4の眼
2.3. 日本の西欧型近代化

第三章:共進化する智民たちとコンピューター
3.0. (前章における「S字波のレンズ」を通じて社会変化過程を見る眼についての整理)
3.1.1. 知識の生産様式の変化と「智民」の出現:個別科学(ディシプリン)からトランスディシプリナリーな知識へ
3.1.2. 最初の智民としてのテクノクラート(スーツ)
3.1.3. ハッカーズ:対抗智民
3.1.4. ギークス:智民の進化
3.1.5. ギークスから子供たち(キッズ)へ
3.1.6. 新型の社会集団の誕生:「ネットワーク」とNGO-NPO-CSO
3.1.7. 社会システムとしてのネットワーク
3.1.8. スマートモブズ:第一次情報革命の「出現の成熟」局面での智民
3.2.0. コンピューターとネットワークのあり方の変化
3.2.1. モバイルでユビキタスな「解放システム」
3.2.2.0. ウェアラブル・コンピューターと知覚するモノたち(成熟局面でのコンピューター(とそのネットワーク)の主要な特徴)
3.2.2.1. (再)身体化
3.2.2.2. 環境化
3.2.2.3. リアル化
3.3.0. 戦後日本の社会変化
3.3.1. 1945-1990:形成局面:戦後民主主義者→新左翼→新人類
3.3.2. 1975-2020 出現局面:狭義オタク→広義オタク→ネッター
3.2.3. 2005-2050 突破局面:スマートモブズ(?)

第四章:共の原理と領域
4.1.0. 近代社会の三つの原理と領域:公・私・共
4.1.1. 通時的視点と共時的視点
4.1.2. 公の原理と領域
4.1.3. 私の原理と領域
4.1.4. 共の原理と領域
4.2.0. 可視社会の中での監視とプライバシー
4.2.1. 監視とその二つの顔
4.2.2.プライバシーを護る仲介者
4.3.1. コモンズと共貨:「コモン・リソース」と「フリー・リソース」
4.3.2. ハーディン対オストローム
4.3.3. ローカル通貨
4.3.4. 共貨の基本的特質
4.3.5. 共貨への期待と障害

第五章:情報社会の新しい秩序
5.1.0. 創発(イマージェンス)と同調(シンク)
5.1.1. 創発(イマージェンス)
5.1.2. 同調(シンク)
5.2. ノンゼロ性と協力
5.3.0. ベキ法則
5.3.1. 貢献と報酬のベキ分布
5.3.2. 社会的ネットワークとベキ法則
5.3.3. ベキ法則への対処
5.3.4. 物理的制約下の正規分布から情報自由下のベキ分布へ
5.4. おわりに
5.5. 付記 情報社会の運営原則

巻末
あとがき

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