2.2.1. 深度0の眼:諸文明の継起

 そこでまず、もっとも概括的に、上記三つの文明の間の関係を、近代文明を中心に置き、S字波の継起として捉えるならば、図2.2.1のような形が考えられる。つまり、宗教文明の成熟ないし定着局面は近代文明の出現局面と部分的に重複し、智識文明の出現局面は近代文明の成熟ないし定着局面と部分的に重複しているとみることができそうだ。

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 そして、これまたごくおおまかな議論であることは承知の上で、近代文明を中心としてその他の二つの文明との比較を試みよう。
 私のみるところでは、未来志向型の近代文明のもっとも顕著な特徴は、人びとが自分の目標を実現するために環境(自分自身をも含む)を支配・制御する手段ないし能力(以下ではそれらを「パワー」と総称することもある) *1 の不断の増進(エンパワーメント)にある。近代化過程とは、この意味でのエンパワーメント過程に他ならないのである。
 そして、近代文明の根底には、近代化を可能にした「人間中心主義」とでも総称できる近代文化(世界観・価値観)があり、それは、

  1.進歩主義
  2.手段主義
  3.自由主義

の三つの主要構成要素(文化子)からなりたっている。 *2 つまり、近代文明は、それを形作っているもろもろの主体やそれらを取り巻く世界の状態は進歩が可能なばかりか、多くの場合、進歩は現実に起こっているという世界観と、そのような進歩は人間にとってよいことだという価値観とに立脚している。これが「進歩主義」の文化である。そして、進歩を実現させるのは適切な手段の適切な使用であって、だからこそより高次の、あるいは最終的な目標を実現するためにも、まずはそのための手段の獲得や改善に努力を集中すべきだという信念をもっている。これが「手段主義」の文化である。さらに、手段(および能力)の改善や進歩は、思想や行動の自由が大きいほど起こりやすくなるし、その意味で自由は善いものだという信念がそれを補完している。これが「自由主義」の文化である。 *3
 それでは、近代文明とは異なる過去準拠型の文明である宗教文明 *4 は、どのような文化に立脚しているのだろうか。先にあげた「近代文化」の三つの主要な「文化子」に対照させていえば、「宗教文化」とでも呼ぶべきものの三つの主要な文化子は、

  1.正統主義
  2.目的主義
  3.戒律主義

だとみてよいだろう。つまり、世界は基本的には衰退し終末に向かうことは不可避だとしても、ただ放置すれば誤った異端的な考え方がはびこってたちまち堕落してしまうので、過去の聖人や教主が示した教えの正統を護持することがなによりも大切(正統主義)であり、手段の有効性に目を奪われるよりは、正しい目的とはなんであるのか、また正しい目的にとってふさわしい手段は何かということを、常に心にかけていなくてはならない(目的主義)。そのさい、弱くて愚かな個々人が自由勝手な考えやふるまいをすれば、たちまち異端を生み、正しい目的からの逸脱を招くので、それを防ぐためには神の与えた戒律に従って生活すべきだ(戒律主義)、という世界観・価値観がそれである。
 では、近代文明の後継者となるポストモダン文明(智識文明)を支える文化は、どのような要素から構成されるものになるだろうか。ポストモダン文明は、すでに出現中だとしてもまだそのごく初期にあると考えられる現在では、その内容を積極的に定式化することは困難である。しかし大きくみれば、それは、さまざまな面で近代文明に先行した宗教文明と類似した過去準拠型の文明になると想定してよいのではないか。そうだとすれば、未来の「智識文化」の三本柱は、消極的規定としては、

  1.反進歩主義(存続志向)
  2.反手段主義(目的重視)
  3.反自由主義(規制重視)

の世界観・価値観だということになるだろう。しかし、近代文明を通過した後の智識文明が以前と同じ宗教文明に回帰してしまうはずはないので、智識文化の根幹には過去の宗教文化(および近代文化)とは質的に異なる特性が含まれるに違いない。だが、そういった点を加味しながらより積極的に、これらの柱をどのような言葉で表現すればよいのか、あるいはさらに新しい柱を追加すべきなのかは、いまの私にはいうことができない。 *5
 いずれにせよ、文明史の上での現代は、先の図2.2.1に模式図的に示したように、既存の宗教文明が定着ないし衰退局面にある一方で、近代文明は成熟局面に入り、さらにポスト近代の智識文明が出現局面に入ったところだということができよう。このレベルでの分析、つまり諸文明の特性を概観的に比較し、それらの歴史的位置づけを行う視点を、「深度0の眼」と呼ぶことにしよう。

*1 : 自分自身をも含む「環境」を制御する「パワー」に対して、「環境」からの作用に抵抗して影響を受けずにとどまる能力(抵抗力や耐久力)も考えられる。エド・ジョーンズの示唆によれば、そのような能力は、「パワー」とは区別される「ストレングス」と呼ぶことができる。近代文明は、その初期にはもっぱら「パワー」に関心を集中させてきたのだが、近年では、「ストレングス」への関心も高まりつつあるように思われる。これを近代の「成熟」に伴う現象とみるか、それともむしろ「ポストモダン」の生み出している傾向とみるか、どちらの可能性も考えられそうだが、とりあえず判断は留保しておきたい。

*2 : 公文[二〇〇一]、第一章。ここに「個人主義」を含めていないのは、個人主義は近代文明の全分肢が通有する文化子というよりは、その下位文化(サブカルチャー)、たとえば西欧や新大陸の一部にみられる近代文明、のもつ文化子のひとつにすぎず、しかも現在進行中の近代化の成熟局面(情報化局面)では、個人主義の文化子の働きはむしろ抑制されるようになると考えるからである。近代化の成熟局面ではまた、近代以前の文明がもっていた、非人間中心主義的な文化子のいくつかが、再発見ないし復活してくる可能性もかんがえられる。そのような文化子の例としては、たとえば天外/衛藤[二〇〇三]の第一章で列挙されているもの(「他力」、「受容」、「循環」など)があげられよう。

*3 : もっとも、近代化の最後まで、とりわけその成熟・定着局面を通じてまで、これらの近代文化の柱が不変のままに残ると考えるべき理由はない。むしろ近代の成熟とは、近代の根幹をなしてきた人間中心主義の文化そのものの自覚と反省が始まる過程だともいえるのではないか。私はかつて、村上泰亮、佐藤誠三郎との共著(村上他[一九七九])の中で、平安末期以降の日本のイエ社会化の過程を分析してみたことがあるが、その後、イエ社会化とは、日本本来の近代化過程にほかならなかったと考えるようになった(公文[一九九四])。いまそれをあらためてS字波の観点から振り返ってみれば、鎌倉・室町時代に出現局面に、戦国時代に突破局面に入った日本の近代化は、「大イエ」の連合国家としての徳川国家体制が成立した江戸時代に、早くもその成熟局面にはいっていたと解釈できる。渡辺京二が、幕末から明治初期に来日した外国人の見聞録をもとに、渡辺[一九九八]の中で感動的に再構成している江戸末期の日本の文明の姿こそは、まさに成熟した日本本来の近代文明の姿だといえよう。そうだとすれば、その後の日本は、西欧近代との再邂逅――最初の邂逅は一六世紀に起こっているが、日本はそのさいに受け入れた「唯一神(ゴッド)」や「鉄砲(ガン)」などの文明要素や、それ以前に自発的にも生み出していた海外雄飛(グローバリズム)のような文明要素――わたしはそれを「三つのG」と呼ぶことにしている――を、日本独自の近代化の成熟過程ではいち早く放棄していた――を通じて、近代化のやりなおし(西欧的近代化)とでもいうべき過程を経ることになり、今日あらためて、西欧とほぼシンクロナイズしてその成熟局面に入っているといってよいだろう。

*4 : 最近読んだ渡辺京二の対談集(渡辺[二〇〇三])の中に、次のような発言があるのを見つけて興味深かった。「古代に美しき範型があって、だんだん廃れていくという考え方、仏法もそうですが、前近代的思考にはそういうペシミズムがある」(五四ページ)。またギデンズ[一九九三]は、「伝統的文化では、過去は尊敬の対象であり、また諸々の象徴、それが幾世代もの経験を内包し、経験を末代に伝えるものであるために尊重されてきた」(五四ページ)という。

*5 : あるいは、宗教文化と近代文化に共通する性格、たとえば「普遍主義」への反省が、智識文化には含まれることになるのかもしれない。

目次

第一章:自前主義と創発する革命
1.1. ディーン・フォー・アメリカ
1.2. イトーの唱える創発民主制
1.3. 住民プロデューサー
1.4. J-Kids大賞
1.5. オープンソースと共の理念

第二章:社会変化を捉える眼
2.1.1. 社会変化のS字波
2.1.2. S字波に関する注記:
2.2.0. 近代化過程へのS字波的視点の適用
2.2.1. 深度0の眼:諸文明の継起
2.2.2. 深度1の眼:近代化の三局面
2.3.3. 深度2の眼:近代化の三局面のそれぞれを対象とする分析
2.4.4. より高深度の眼:深度3および深度4の眼
2.3. 日本の西欧型近代化

第三章:共進化する智民たちとコンピューター
3.0. (前章における「S字波のレンズ」を通じて社会変化過程を見る眼についての整理)
3.1.1. 知識の生産様式の変化と「智民」の出現:個別科学(ディシプリン)からトランスディシプリナリーな知識へ
3.1.2. 最初の智民としてのテクノクラート(スーツ)
3.1.3. ハッカーズ:対抗智民
3.1.4. ギークス:智民の進化
3.1.5. ギークスから子供たち(キッズ)へ
3.1.6. 新型の社会集団の誕生:「ネットワーク」とNGO-NPO-CSO
3.1.7. 社会システムとしてのネットワーク
3.1.8. スマートモブズ:第一次情報革命の「出現の成熟」局面での智民
3.2.0. コンピューターとネットワークのあり方の変化
3.2.1. モバイルでユビキタスな「解放システム」
3.2.2.0. ウェアラブル・コンピューターと知覚するモノたち(成熟局面でのコンピューター(とそのネットワーク)の主要な特徴)
3.2.2.1. (再)身体化
3.2.2.2. 環境化
3.2.2.3. リアル化
3.3.0. 戦後日本の社会変化
3.3.1. 1945-1990:形成局面:戦後民主主義者→新左翼→新人類
3.3.2. 1975-2020 出現局面:狭義オタク→広義オタク→ネッター
3.2.3. 2005-2050 突破局面:スマートモブズ(?)

第四章:共の原理と領域
4.1.0. 近代社会の三つの原理と領域:公・私・共
4.1.1. 通時的視点と共時的視点
4.1.2. 公の原理と領域
4.1.3. 私の原理と領域
4.1.4. 共の原理と領域
4.2.0. 可視社会の中での監視とプライバシー
4.2.1. 監視とその二つの顔
4.2.2.プライバシーを護る仲介者
4.3.1. コモンズと共貨:「コモン・リソース」と「フリー・リソース」
4.3.2. ハーディン対オストローム
4.3.3. ローカル通貨
4.3.4. 共貨の基本的特質
4.3.5. 共貨への期待と障害

第五章:情報社会の新しい秩序
5.1.0. 創発(イマージェンス)と同調(シンク)
5.1.1. 創発(イマージェンス)
5.1.2. 同調(シンク)
5.2. ノンゼロ性と協力
5.3.0. ベキ法則
5.3.1. 貢献と報酬のベキ分布
5.3.2. 社会的ネットワークとベキ法則
5.3.3. ベキ法則への対処
5.3.4. 物理的制約下の正規分布から情報自由下のベキ分布へ
5.4. おわりに
5.5. 付記 情報社会の運営原則

巻末
あとがき

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