2.2.2. 深度1の眼:近代化の三局面

 次に、考察の対象を近代文明だけにしぼって、その進化のS字波を構成している三つの局面(出現・突破・成熟の各局面――その各々がそれに対応する小S字波をもつ――)に注目してみよう。その場合には、近代化の過程は、図2.2.2のように総括できるだろう。 *1

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 すなわち、一六世紀の半ば以降、ほぼ二〇〇年毎に始まる *2 近代化過程の各局面では、それぞれある特定の種類の「パワー」が集中的に増進する。出現局面では軍事力(脅迫・強制力)が、突破局面では経済力(取引・搾取力)が、成熟局面では知力(説得・誘導力)が、それぞれ集中的に増進する。 *3 その過程で、この新しいパワーの獲得と発揮に専念する、これまでは存在しなかったような新しい種類の社会的集団やそのメンバーたち、および新しいパワーの獲得と発揮のゲームを行うための場として機能する新しい社会システムが、出現し共進化していく。 *4 以下この本では、近代化の出現局面のことは「国家化」局面と、突破局面のことは「産業化」局面と、成熟局面のことは「情報化」局面と、それぞれ呼ぶことにしよう。 *5
 
 そこでまず、各局面がもつ共通性について考えてみよう。
 共通性:近代化の各局面は、それぞれ、それに先立つ前史とでもいうべき相当な長期間にわたる形成局面をもっている。各局面はまた、それを推進する駆動因をもち、それは(1)個々の推進主体がみずから使用する主要な手段と、(2)そうした手段の入手を媒介する制度的仕組みとからなっている。各局面において、集中的に増進するパワーを集中的に保有・行使すると共に、そうした保有や行使に関する「権利」 *6 をみずからの神聖な権利として自覚し主張する新しい種類の組織、つまり「核主体」と、その自覚的なメンバー(下位主体)、およびそれらの核主体を構成要素とする「広域的な社会システム」――つまり、それ自体は主体とみなせないようなシステム――の共進化がみられる。各局面における核主体は、上記の広域的な社会システムを舞台として、それぞれの局面に独自の目標――抽象・一般化された核パワーの追求と行使――の実現をめざす「社会ゲーム」 *7 のプレーヤーとなる。それぞれの局面が進行していく中で、核主体や広域的社会システムのあり方、および社会ゲームのルールや利得、均衡戦略などが間主観化し、制度化されていく。それと共に、それぞれの社会ゲームが効果的に普及した場合に創発してくることが期待される社会秩序の抽象理念化や理論化もまた進行する。また、それぞれの局面において基本権として自覚され制度的に確立した権利を補完する役割を果たす、新しい種類の権利を社会的に設定する必要も意識されるようになる。

 次に、各局面の独自性について考えてみよう。

近代化の出現(国家化)局面:1550- *8

 国家化の前史とでもいうべき過程は、西欧の場合、七世紀から八世紀にかけて始まった「封建化」(従士制と恩貸地制の結合)の過程がそれにあたると解釈できよう。 *9 国家化の駆動因としては、第一に個々の核主体が保有する正規常備軍を、第二に、核主体の間で互いに割譲や分合が可能とみなされるようになった領分(領土や領民)をあげることができよう。つまり、国家化は「正規軍化」と「領分化」を通じて推進されたのである。 *10
 この国家化の局面では、強力な軍隊と統合された領分とを基盤とし、それ以前の「帝国」や「教会」の権威に対抗しうる至高の「主権」という観念を神聖視する新しい核主体、すなわち「近代主権国家」が誕生した。「主権」ないし「国家主権」とは、脅迫/強制力、とりわけその物理的具現としての暴力装置を、外部の他主体(とりわけ同位主体としての他の国家)および内部の他主体(個人をも含む各種の下位主体)に対して、独占的に保有・行使(委譲を含む)する権利である。各主権国家は、最初は「臣民」、後には「国民(ネーション)」などと呼ばれるようになった人びとやその集団を自らの下位主体としてもち、自分自身をその構成要素とする「国際社会」と呼ばれた広域的な社会システムを舞台として「威のゲーム」(抽象的で一般的な脅迫・強制力としての「国威」の増進・発揚ゲーム)と呼ばれる社会ゲームのプレーヤーとして活動する中で、国民や国際社会との共進化をとげていった。
 個々の主権国家にとっての「威のゲーム」の直接的な目標は、相互の戦争を通じて、あるいは主権国家の形成に成功していない地域の征服を通じて、土地や人民をまず軍事的に獲得することにあったが、その究極的な目標は、それらの土地や人民を、外交過程を通じて、自国の正当な領土や植民地として国際社会に認知させることで、自国の国威、すなわち抽象的で一般的な脅迫・強制力を、増進し発揚するところにあった。
 国家化の初期においては、主権国家間の、あるいはいち早く近代主権国家の成立を見た諸国とその影響下におかれたその他の地域(植民地や従属国)地域の間の、軍事力の格差――後述する「デジタル・デバイド」との対比でいえば「ナショナル・ディバイド」とでも呼ぶことができる格差――は増大する一方だろう。また、主権国家の「臣民」の間では、高級官僚や軍人として権力の階段を上っていく人びとと、一般国民の間の政治権力面での格差――「パワー・ディバイド」とでも呼ぶことができる格差――も、増大する一方だろう。しかし、国家化が進展するにつれて、「植民地解放」や「独立の権利」――つまり自らを主権国家として組織する国々の権利――は世界の与論となり、国家間の格差拡大傾向は逆転していった。また主権国家の内部においても「民主化」への転換が起こり、政治権力の配分はより平等なものになっていった。したがって、やや視点を変えていえば、主権国家の国民にとっての威のゲームの意義は、「闘争」を通じての「平和 (peace)」 あるいは「安全・安心 (security)」 の達成にあったということもできるだろう。
 こうした共進化過程を通じて、近代主権国家の諸制度、とりわけ国家とその国民の間の権利義務関係を律する公法の体系の整備が進む。国家間の関係としての威のゲームのルールも、国際法や戦時国際法(戦争と平和の法)の形で成立してくる。また「勢力均衡」という理念が、威のゲームを通じて創発される国際社会での広域的な秩序として主張されたり、プレーヤーとしての個々の国家、とりわけ主導的な国家にとっての戦略目標――つまり政策的に創出・維持されるべき状態――とされたりするようになっていく。さらに、国家主権を補完・制約する国民の「人権」という観念も、その重要性が自覚され制度化されていく。
 なお、国家化の局面は、軍事力の集中的増進(軍事革命)という側面に焦点を合わせれば「軍事化」の局面と呼ぶこともできる。また、諸国家間の威のゲームの舞台としての国際社会の成立という側面に焦点を合わせれば「国際化」の局面と呼ぶこともできるだろう。

近代化の突破(産業化)局面:1750-

 産業化の前史とでもいうべきその形成局面は、西欧の場合、一二世紀から一三世紀にかけて始まった「商業化」の過程がそれにあたると解釈できよう。産業化の駆動因としては、第一に、個々の核主体が自分の肉体の代りに機械を使って生産や輸送の効率化を達成するようになったこと、第二に、他人の労働や他人の生産した財を商品として購入して利用することで効率化をさらに推進したことがあげられよう。つまり産業化は、「機械化」と「商品化」を通じて推進されたのである。
 この産業化の局面では、機械や土地のような生産手段を私有し、原料や労働力を購入して自ら生産に従事する「近代産業企業」が誕生した。近代産業企業にとっては、国家の主権とは区別される私権としての「財産権」が神聖視された。財産権ないし私有財産権とは、取引/搾取力、とりわけその物的な具現としての財産を、分散・分権的に所有・使用(商品の生産やその譲渡の形での使用を含む)する権利である。各産業企業は、最初は「賃労働者」、後には「市民」などと総称されるようになった人びとを自らの下位主体としてもち、自分自身をその構成要素とする「世界市場」――以下、単に「市場」とも呼ぶ――と呼ばれた広域的な社会システムを舞台として「富のゲーム」(抽象的で一般的な取引・搾取力としての「富」の蓄積・誇示ゲーム)と呼ばれる社会ゲームのプレーヤーとして活動する中で、市民や世界市場との共進化をとげていった。
 個々の産業企業にとっての「富のゲーム」の直接的な目標は、最初から商品として販売されることが予定されている財やサービスの大量廉価な生産にあった。だが、その究極的な目標は、それらの商品を市場に出して市民たちの積極的な評価を受けて――つまり「消費者」としての市民に対してそれを販売することに成功して――利益をあげ、富を蓄積し誇示するところにあった。
 産業化の当初は、産業企業家と被雇用者兼消費者としての一般市民たち、および産業化に取り残された組織や個人たちとの間の、経済力の格差――後述する「デジタル・デバイド」との対比でいえば「キャピタル・ディバイド」とでも呼ぶことのできるような格差――は拡大する一方であるかにみえたが、やがて産業企業の生み出す経済力の一部は一般市民やその他の組織にも広く配分されるようになり、すべての人びとの経済力の平均的な増大をもたらすようになった。したがって、やや視点を変えていえば、市民にとっての富のゲームの意義は、「競争」を通じての「繁栄 (prosperity)」 ないし「豊かさ (affluence)」 の達成にあったということもできるだろう。
 こうした共進化過程を通じて、近代産業企業や市民をめぐる諸制度、とりわけ企業間の富のゲームのルールや、企業と市民、あるいは市民相互の取引その他の相互関係にかかわる権利義務関係などが、商法や民法の形で整備されていく。また「市場均衡」や「経済発展」、あるいは「景気循環」のような理念や観念が、富のゲームを通じて創発される、世界市場(やその一部としての個々の国や地域)での広域的な秩序として主張されたり理論化されたりするようになっていく。また産業化の先発国での市場均衡や経済発展が自生的に可能であることがいったん実証されると、後発国はそれを政策的・計画的に創出しようとする試み(開発主義)が起こる。 *11 また、プレーヤーとしての個々の企業の競争や協力のための、あるいは市場シェアの拡大を達成するための、さまざまな技術や戦略なども、開発・洗練されていく。さらに、私有財産権を補完・制約する「環境権」のような観念も、その必要が自覚され制度化されていく。
 なお、産業化の局面は、近代産業企業の成立という側面に焦点を合わせれば「企業化」の局面と呼ぶこともできる。また、諸企業間の富のゲームの舞台としての世界市場の成立という側面に焦点を合わせれば「世界化」の局面と呼ぶこともできるだろう。

近代化の成熟(情報化)局面:1950-

 情報化の前史とでもいうべき過程は、西欧の場合、一二世紀から一三世紀にかけて生じた「ルネサンス」の過程や一五世紀の印刷革命、さらには一七世紀の科学革命などがそれにあたると解釈できよう。情報化の駆動因としては、第一に個々の核主体が自分の頭脳の代りに演算力や判断力をもつエージェントを使ってコミュニケーション(交流)やコラボレーション(共働)の効率化を達成するようになること、第二に、各人が生み出す智識や情報を通識として仲間の間で通有したり、不特定多数の他人にも公開したりすることが最初から予定されていることで、効率化をさらに推進することがあげられよう。つまり産業化は、「エージェント化」と「通識化」を通じて推進されるのである。
 この情報化の局面では、既存の国家や企業とは異なる、通識の生産と通有にもっぱらたずさわる「近代情報智業」――以下、単に「智業」と呼ぶ――が誕生しつつあると思われる。近代情報智業は、国家主権(公権)や私有財産権(私権)とは区別される共権としての情報権を神聖視する、情報化局面での核主体となる。「情報権」とは、説得/誘導力、とりわけその観念的表現としての理念(アイデア)を、共働して革新・利用(通識の生産やその通有の形での利用を含む)する権利である。各智業は、これまでの国民や市民とは異なる意識と行動様式をもつ「智民」たちの一部を自らの協力者として活動すると同時に、他の智民たちに働きかけて通識を普及させようとする。つまり、産業化局面での市民が、企業の従業員として生産活動に従事すると同時に、企業の生産する商品の消費者にもなるという二面性をもっていたのと同様な二面性を、情報化局面での智民ももつようになるのである。情報化の進展に伴って今後さらに台頭し増殖していく智業は、自分自身をその構成要素とする「地球智場」――以下、単に「智場」とも呼ぶ――と呼ばれる広域的な社会システム――その物理的な表現がインターネットだといってよいだろう――を舞台として「智のゲーム」(抽象的で一般的な説得・誘導力としての「智」の獲得・発揮ゲーム)と呼ばれる社会ゲームのプレーヤーとして活動する中で、智民や智場との共進化をとげていくと思われる。 *12
 個々の智業にとっての「智のゲーム」の直接的な目標は、最初から「通識」として通有されることが予定されている知識や情報の生産にある。だが、その究極的な目標は、それらの通識を智場に出して智民たちの積極的な評価を受けて――つまり「信奉者」としての智民に対してそれを受け入れさせることに成功して――評判を高め、智、すなわち抽象的で一般的な説得・誘導力を獲得し発揮することになっていくだろう。
 情報化の局面でも、その当初は、智業家とその協力者兼信奉者としての一般智民たちおよび情報化に取り残された組織や個人たちとの間の知力の格差――「デジタル・デバイド」――は拡大する一方であって、それに対する不満や批判も強くなっていくだろう。だが、これまでと同様な近代化の潮流が続くとすれば、今回もまた、智業の生み出す知力の一部は一般智民やその他の各種の組織(政府や企業)にも広く配分されるようになり、すべての人びとの知力の平均的な増大をもたらすようになるだろう。したがって、やや視点を変えていえば、智民にとっての智のゲームの意義は、共働を通じての「楽しさ(pleasure)」ないし「共愉(conviviality)」 *13 の達成にあるいうこともできるだろう。
 こうした共進化過程を通じて、近代情報智業や智民をめぐる諸制度、とりわけ智業間の智のゲームのルールや、智業と智民、あるいは智民相互のコミュニケーションやコラボレーションにかかわる、さらには智業と企業と国家の相互関係にかかわる権利義務関係などが、法制度化されていくだろう。また、智のゲームを通じていずれは創発されてくると期待される地球智場(やその一部としての個々の国や地域)での広域的な秩序をめぐるさまざまな観念や理論も作られていくし、プレーヤーとしての個々の智業のコミュニケーションやコラボレーションのための、あるいは「智」の獲得を達成するための、さまざまな技術や戦略なども開発されていくだろう。さらに遠い将来には、情報権を補完・制約する人間の「身体権」のような観念も、その必要が自覚され制度化されていくかもしれない。
 なお、情報化の局面は、近代情報智業の成立という側面に焦点を合わせれば「智業化」の局面と呼ぶこともできる。また、諸智業間の智のゲームの舞台としての地球智場の成立という側面に焦点を合わせれば「地球化」の局面と呼ぶこともできるだろう。

 このように、近代化過程の全体をいくつかの局面、とりわけ「出現」、「突破」、「成熟」の三つの局面に分解して、それぞれの特徴を互いに比較しつつ分析する視点を「深度1の眼」と呼ぶことにしよう。この視点から現代をみれば、現代は、近代化過程が、「国家化の定着」と「産業化の成熟」、「情報化の出現」を伴いながら、全体としては「成熟」局面に入った時代だということができる。この近代化過程は、「成熟」を経た後もなお相当の長期にわたって「定着」する――「ポストモダン」文明の「出現」さらには「突破」と同時並行しながら――可能性は否定しきれないが、近代化という大きな社会変化過程に注目してみるならば、近代はその「成熟」局面において、その最終局面、すなわち「ラストモダン」局面に入ったという言い方も、あながち不当ではあるまい。その意味では、われわれはギデンズのいうように「モダニティ[近代]の彼方に移行したのではなく、モダニティが徹底化した局面を、まさに生きている」といえよう。 *14 私は最近、光速変動理論(VSL)を開拓した若い物理学者、ジョアオ・マゲイジョの手記を読んで、宇宙論という現代物理学の最先端の部分では、理論はそれこそ仮借なく日々前進していることをあらためて痛感させられた。「進歩」は、終焉したどころではない。それは、技術と理論の両面で、われわれの眼前で不断に生じ続けているのである。

*1 : 以下、この節と次節での議論は、公文[2001]、第二章の議論の改訂・縮約版である。

*2 : 図2.2.2にみられるように、次の局面の出現は、それに先立つ局面がそれ自身の成熟局面に入るころと重なっている。たとえば、産業化の出現(いいかえれば、近代化の「突破の出現」)は、国家化の成熟(いいかえれば、近代化の「出現の成熟」)とほぼ重なっている。同様に、情報化の出現は、産業化の成熟とほぼ重なっている。

*3 : これらの能力・手段やそれを保有・使用する各種の社会的主体についてのより詳しい議論は、公文[一九九四]、第四章を参照されたい。

*4 : 『季刊・共進化』の発刊者、スチュアート・ブランドによれば、「進化とは自らの必要性に合わせた適応である。共進化とはもっと視野の広い概念で、互いに相手の必要を満たすように適応することである」(ケリー[一九九九]、一二七ページ)。この概念についてのより詳しい説明は、前記ケリーの著書の第五章をみられたい。

*5 : 近代化の出現局面は、軍事力の集中的増進にとくに注目するならば「軍事化」と呼ぶこともできようが、ここでは、この局面に生まれた新しい社会的集団としての「近代主権国家」にとくに注目して、「国家化」という名称を採用することにした。また、近代化の突破局面は、そこに台頭してくる新しい社会集団としての「近代産業企業」にとくに注目するならば、「企業化」と呼ぶことも可能だろうが、ここではすでに広く採用されている「産業化」という名称を使うことにした。近代化の成熟局面に対しては、日本で最初に創られた「情報化」という言葉に新しい意味を付与する気持ちをこめて、「情報化」という名称を与えることにした。しかし、新しい社会集団の台頭に注目するならば、この局面は「智業化」と呼ぶこともできるだろう。

*6 : 社会システムの中での「権利」とは、ある主体が特定の行為を行うことに対して、他の主体が異議を称えないという社会的合意が、制度化されていることを意味する。この意味での権利は、ある主体が何らかの行為を行う積極的な権利(自由権)と、他の主体に対して何らかの行為を行わせたり止めさせたりする消極的な権利(請求権)に、大別できる。

*7 : この概念については、公文[一九七八]を参照されたい。

*8 : 近代化を産業化と同一視する論者(多くの経済学者や社会学者)は、近代化の始まりをもう二百年ほど遅いとみなしがちである。もっとも社会学者のアンソニー・ギデンズは近代の出現を一七世紀以降のヨーロッパに見ている(ギデンズ[一九九三]、一三ページ)。それに対し、国際政治学者は、近代の出現を近代的主権国家の出現と関連づけて捉えがちである。ここでは、梅棹忠夫の見方(梅棹[二〇〇一]、第三章)も参考にしながら、本文のような区分を採用した。

*9 : もちろん、従士制や恩貸地制それ自体にはさらにその前史があることを考慮すれば、封建化過程の開始をさらにそれ以前にさかのぼらせることも可能だろう。

*10 : 外国人からなる傭兵軍を自国民からなる正規軍に転換することの重要性は、マキアヴェリの『君主論』(第一二~一三章)において、いちはやく指摘されている。

*11 : これに対し、先発国の間で、いったん達成された均衡や発展を政策的に維持しようとする試みは、ジョンソン[一九八二]の表現を借りるならば「規制主義」と呼ぶことができるだろう。なお、「開発主義」については、後の注88を参照されたい。

*12 : 「智のゲーム」についてのより詳しい説明は、公文[一九九四]の第九章を参照されたい。なお、最近知って驚いたことだが、明らかにそれとは独立に発想された、『ぼくたちの洗脳社会』と題する書物(岡田[一九九五])の中に展開されている、競争的に提供される価値観の間の自由な選択を人々が行うようになる「自由洗脳競争社会」というアイデアは、用語こそ違っているものの、私のいう「智のゲーム」とほとんど同一である。

*13 : アイバン・イリッチの著作を通じて普及した「コンビビアリティ」という言葉を「共愉」と訳すことを最初に提唱したのは、古瀬幸広である。

*14 : ギデンズ[一九九三]、七〇ページ。

目次

第一章:自前主義と創発する革命
1.1. ディーン・フォー・アメリカ
1.2. イトーの唱える創発民主制
1.3. 住民プロデューサー
1.4. J-Kids大賞
1.5. オープンソースと共の理念

第二章:社会変化を捉える眼
2.1.1. 社会変化のS字波
2.1.2. S字波に関する注記:
2.2.0. 近代化過程へのS字波的視点の適用
2.2.1. 深度0の眼:諸文明の継起
2.2.2. 深度1の眼:近代化の三局面
2.3.3. 深度2の眼:近代化の三局面のそれぞれを対象とする分析
2.4.4. より高深度の眼:深度3および深度4の眼
2.3. 日本の西欧型近代化

第三章:共進化する智民たちとコンピューター
3.0. (前章における「S字波のレンズ」を通じて社会変化過程を見る眼についての整理)
3.1.1. 知識の生産様式の変化と「智民」の出現:個別科学(ディシプリン)からトランスディシプリナリーな知識へ
3.1.2. 最初の智民としてのテクノクラート(スーツ)
3.1.3. ハッカーズ:対抗智民
3.1.4. ギークス:智民の進化
3.1.5. ギークスから子供たち(キッズ)へ
3.1.6. 新型の社会集団の誕生:「ネットワーク」とNGO-NPO-CSO
3.1.7. 社会システムとしてのネットワーク
3.1.8. スマートモブズ:第一次情報革命の「出現の成熟」局面での智民
3.2.0. コンピューターとネットワークのあり方の変化
3.2.1. モバイルでユビキタスな「解放システム」
3.2.2.0. ウェアラブル・コンピューターと知覚するモノたち(成熟局面でのコンピューター(とそのネットワーク)の主要な特徴)
3.2.2.1. (再)身体化
3.2.2.2. 環境化
3.2.2.3. リアル化
3.3.0. 戦後日本の社会変化
3.3.1. 1945-1990:形成局面:戦後民主主義者→新左翼→新人類
3.3.2. 1975-2020 出現局面:狭義オタク→広義オタク→ネッター
3.2.3. 2005-2050 突破局面:スマートモブズ(?)

第四章:共の原理と領域
4.1.0. 近代社会の三つの原理と領域:公・私・共
4.1.1. 通時的視点と共時的視点
4.1.2. 公の原理と領域
4.1.3. 私の原理と領域
4.1.4. 共の原理と領域
4.2.0. 可視社会の中での監視とプライバシー
4.2.1. 監視とその二つの顔
4.2.2.プライバシーを護る仲介者
4.3.1. コモンズと共貨:「コモン・リソース」と「フリー・リソース」
4.3.2. ハーディン対オストローム
4.3.3. ローカル通貨
4.3.4. 共貨の基本的特質
4.3.5. 共貨への期待と障害

第五章:情報社会の新しい秩序
5.1.0. 創発(イマージェンス)と同調(シンク)
5.1.1. 創発(イマージェンス)
5.1.2. 同調(シンク)
5.2. ノンゼロ性と協力
5.3.0. ベキ法則
5.3.1. 貢献と報酬のベキ分布
5.3.2. 社会的ネットワークとベキ法則
5.3.3. ベキ法則への対処
5.3.4. 物理的制約下の正規分布から情報自由下のベキ分布へ
5.4. おわりに
5.5. 付記 情報社会の運営原則

巻末
あとがき

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