5.1.1. 創発(イマージェンス)

 気鋭の評論家スティーブン・ジョンソンは、多くの話題を投げた著書『創発(イマージェンス)』 *1 の中で、粘菌やアリ、人間の脳、大都市、ソフトウエアなどの例をあげながら、特別な計画者・管理者がいないのに、「群れ」や「群がり(スゥオーム)」をなしているそれ自体としては相対的に低能力の個々の主体(エージェント)が、相互にあるいは環境との間に示す単純でローカルな規則に従う行動の中から、複雑でグローバルな秩序(場合によっては「超個体」の形成とでも呼びたくなるような秩序)や高度な知性 *2 (場合によっては「集合知性」あるいは「超精神(スーパーマインド)」などと呼びたくなるような知性)が、「ボトム・アップに自己組織化」されてくる、つまり「創発」されてくると論じている。 *3 そのようにして、アリは群落(コロニー)を創り、都市生活者は近隣住区を創り、アマゾンの単純なパターン認識ソフトウエアは新刊書推薦システムを創るのである。 *4 それらの場合には、それを観察している第三者には、複雑でグローバルな秩序を示す全体――あるいはその中枢部分――が、それ自体一個の合理的な計画や行為の主体として、そのような秩序の発現をあたかも事前に計画したり時々刻々管理したりしているように見えるかもしれないが、そういうことはないのが「創発」的事象の特性なのである。 *5 もちろん、個々のエージェントはそのようなグローバルな秩序について、事後的にさえなんの理解をももっていないことが多い。それを事前に計画しているというにいたっては、それこそ論外である。 *6

 たとえば、アリの場合は、個々の働きアリはお互いの出すフェロモンの香りとそれに遭遇する頻度に反応して行動のパターンを変えることで、食糧漁りや幼虫の世話、巣の清掃や修復、死体の始末などの分業を整然と行う。群落(コロニー)のなかで、ごみ捨て場は居住区域からはもっとも遠い場所に設けられ、さらに死体置き場は居住区域とごみ捨て場の双方に対してもっとも遠く離れている位置に作られる。しかし個々のアリたちが従事するそうした行動を監視したり調整したりしている個体や集団はどこにもいない。女王アリは巣の奥深いところにいてせっせと卵を生み続けているだけである。しかも、女王アリの寿命(通常は十五年ほど)に等しい寿命をもつ群落(コロニー)では、個々の働きアリの寿命はごく短くて、毎年新しいアリが生まれてくる。生まれてきたアリたちは、全体として群落(コロニー)自体がまだ若いうちは、他の群落(コロニー)に属するアリたちに対して荒々しく好戦的な行動を示す。しかし、年数がたつにつれて、新しく生まれてきたアリたちは、あたかも老成したアリであるかのような、成熟した闘争回避的な行動を示すようになるという。あるいは、都市もまたアリの群落(コロニー)と同様に、情報を貯蔵し引き出す能力をもっていて、人間行動のさまざまなパターンに反応しうるような創発的知性を示すのである。 *7
 自動車産業の研究家として世界的にも有名な経営学者の藤本隆宏は、日本の自動車産業が二十世紀後半に示した「もの造り能力」や「改善能力」のような企業の組織能力も、事前に合理的に計画されたものではなく、事後的に合理的と判断された「創発的なプロセス、つまり、当事者が必ずしも事前に意図していなかった径路で、徐々に、累積的に形成された。したがって、他の企業がこれを事前に察知することはきわめて困難だったし、競争力格差に気づいた後も、その組織能力の総体を把握することは難しかった」と述べている。 *8 藤本のいうように、一個の経営体の生み出した強い競争力さえ事後的な「創発」の産物だとすれば、産業全体、さらには一国の経済全体の「競争力」なるものの消長は、さらにより創発性の強いもの、人知を超えたものではないだろうか。それを計画したり政策的に制御したりできると考えるのは、人間の傲慢にすぎないのではないか。恐らく、景気の循環や戦争や平和、あるいは社会の安全や混乱といったマクロ的現象はすべて、基本的にはそうした創発性の産物だと思われる。 *9

 だが、かりにそうであったとしても、他の生物はいざ知らず人間は、ローカルな行動のレベルでも、単に規則にしたがって行動するというよりは、「合理的」、「戦略的」に自らの行動を選択しようとする。また、自分がより大きなシステムの一個の要素にすぎない場合でさえ、システム全体を見る(あるいは見ているつもりになる)ことや、システム全体あるいは少なくとのそのサブシステムの挙動や構造を計画したり制御したりすることが、できると考えて行動しがちである。しかもそうした行動が、意図通りにかどうかは別として、環境および相互とのローカルな相互関係の中で自分にとってより有利な結果をもたらしたり、システムの全体的な挙動や構造にもなんらかの意味ある効果を生み出したりする可能性は、まったく否定するわけにもいかないだろう。個々の人間は、その意味では、ローカルな関係を超越するグローバルな視点や意図にもとづく「自己決定」をなしうる「主体」でもあるのだ。しかし、さらにいえばそのような決定と行為の能力を含む個としての「私」の「自己性(アイデンティティ)」自体――すなわち、私と他者を区別すると同時に同一化しているさまざまな属性の統合的集合体――も、私が遺伝的に受け継いだ諸属性(もしくはそれらの属性の発現可能性)を基盤としながら、他者や環境との部分的で実際的な日々の相互関係や相互作用を通じて、他人の心の中に、また私自身の反省意識の中に、不断に「再想像」 *10 され、「創発」され続けていくのだろう。恐らくそのような事情の絡まりあいが、人間を要素として含むより大きなシステムの人間自身による理解を、複雑で困難極まるものにしていると同時に、そのような大きなシステムを構想し、構築し、理解し、制御しようとする人間の欲望を、いっそう掻き立てもしていると思われる。とりわけ、当初は予想もしていなかった秩序が「創発」されたことに気づけば、それを維持・改善したり、同様な秩序を新たに人為的に「創出」しようとする欲望が生まれることは、ほとんど不可避といってよいだろう。
 だが、その点はさておき、ジョンソンの議論でさらに興味深いのは、彼のいう「三つの自己組織レベル」に関するものである。 *11 彼によれば、人間の脳が発達させた驚くべき能力とは、他人の心を読む能力であり、それが実は人間の自意識の基盤となった。しかし、他人の心を読みその行動が示すパターンの意味を理解できる脳の能力は、たかだか百数十人を相手とするものに限られていた。これがより巨大な情報集積体としての都市となると、ジェイン・ジェイコブズがいち早く指摘したように、 *12 近隣住区という形態で人びとの集合行動のパターンをみることが可能になり、数十万の人びとの共同生活が可能になった。そして今日、コンピューターのソフトウエアが、ウェブでの人びとのオンライン活動のパターンを解析することで、何千万、何億という人びとの心、つまりわれわれ自身の心を読み、しかるべき対応――たとえばある人が興味を持ちそうな新刊書の推薦――をすることが可能になりつつある。つまり現在進化しつつあるソフトウエアは、人間精神の読み取り機になる方向に向かっているというのである。いいかえればここに、ソフトウエアの力を借りて、人びとがお互いの心を読み取り、コミュニケーションとコラボレーションを、さらには相互の奉仕を、より高度なレベルで展開していく可能性が生まれつつある。ジョンソンの言葉で言えば、われわれはいまようやく、「創発」のなんたるかを理解し、それを単に事後的に観察・分析したり、模倣的に再発・創出させたりしようとしていた段階から、新たな創発現象そのものを意図的・人為的に生み出す段階に入ったのだ。 *13 恐らく、情報社会での監視と協力の問題も、そういった観点から捉えなおしてみることが必要だろう。
 しかも、ジョンソンによれば、このような新しい自己組織型のソフトウエア・ゲームに接する子供たちが示す能力のなかでは、それを合理的に解析して隠れた因果関係を取り出して「裏技」を発見する能力など二義的なものでしかない。むしろ、これからの新しい智民にとってより重要な意味をもつようになる能力は、一見意味をなさないように見えるゲームのルールや目標が与えられていても、辛抱強くそれと付き合い、興味深い結果が創発してくるのを待って、それを享受する能力になるだろう。
 ここには、未来の智民としての子供たち自身が、自己組織型のソフトウエアと共進化していく傾向が、見て取られるように思われる。 *14 なぜならば、ここでジョンソンが指摘している子供たちの間にみられる新しい資質の発展は、すでに一九八〇年代に、MITのシェリー・タークルが子供たちのプログラミングにみられる二つの傾向として指摘していたものと、重なり合っているからである。彼女は、小学校に導入されたコンピューターのプログラムを、生徒たちがどのように作るかを調べて、子供たちはコンピューターによって「育てられて」いくことに気づいた。すなわち、「物的世界と精神的世界の中間に位置する」コンピューターに接した子供たちは、最初はコンピューターとは「何者」かと不思議がりながら、それは「生き物」、「ともだち」に違いないとまず判断し、次にコンピューター操作の習熟に熱中し、そしてコンピューターとの関わりを通じて自我をみつめ直し、自我を確立させていくのである。
 タークルはまた、子供たちのプログラミングの手法が、これまで想定されてきたような「合理的」「計画的」なものばかりとは限らないことにも気付き、プログラミングにおける「ハード・スタイル」と「ソフト・スタイル」という二つの類型を見いだした。前者は、世界を自分がコントロールできるものとみなし、複雑な世界を単純化し法則に従うものとして捉えようとする傾向をもつ。コンピューターをも力で支配し、思い通りに動かそうとするのである。それに対し後者は、世界を自分の力ではコントロールできず自分が適応していくべきものとみなし、空想の中で世界と自分を、コンピューターと自分を、一体化させるのである。タークルによれば、後者のタイプの生徒 (女子に多い) は、科学に弱く、プログラミングに上達するはずがないと思われていた。しかし、実際にはコンピューターとの共同生活の中で、後者のタイプの生徒の間からもすばらしいプログラマーが続々と生まれたのである。コンピューターの世界は、科学の世界と同様、これまではハード・スタイルの人間のための世界だと考えられていたが、ソフト・スタイルの人間にも、十分活躍の場がありうるというのが、タークルの発見であり、主張でもあった。 *15

*1 : ジョンソン[二〇〇四]。本書のカバーによれば、Newsweek誌は、著名な技術・科学・文化論サイトである Feed (www.feedmag.com) の共同設立者のジョンソンを、「インターネット上でのもっとも重要な五〇人」の一人に数えているという。

*2 : 人間にとってそこに「高度な知性」があるように見えるのは、そこで行われている事柄――複雑な構造をもった巣作り、人間の最高のプログラマーに匹敵するほど効率的な解を導ける「遺伝的アルゴリズム」によって人工進化したプログラムなど――によってであって、それを生み出している内部の仕組みではない。たとえば、ダニー・ヒリスが「創発」させた、進化型の「ナンバー・ソーティング」プログラム(数を大きさ順にならべかえるプログラム)は、コードのステップ数(62ステップ)でいうと人間のプログラマーが書いた最小のもの(60ステップ)とほとんど違わないくらいに良くできているのに、それをヒリス本人が見ても、そこでなにが行われているかはさっぱり説明できなかったという(ジョンソン[二〇〇四]、一八六-八九ページ)。ケリー[一九八九-一]、第十七章も、同様な例について語っている。

*3 : ジョンソン[二〇〇四]、一五ページ。彼は、アル・ゴア元副大統領が、「政府の再発明」を「ボトムアップ・パラダイム」で行おうと呼びかけたとも述べている(六八ページ)。

*4 : この種の創発的行動は、人為的にも容易に創り出せる。たとえば映画の『バットマン・リターンズ』にでてくる本物そっくりのコウモリの群れの動きは、「ほかのコウモリにはぶつかるな、仲間から遅れるな、自分だけあまり遠くにさまよい出るな」といった少数の単純なルールに従って群れを勝手に動き回らせるようにするだけで、コンピューターで生成されたものだという(ケリー[一九九九]、二六ページ)。

*5 : ケビン・ケリーは、それを「階層的な社会秩序から『ネットワーク文化』とでも言うべきものへの移行」とみなす一方(ケリー[一九九九-一]、七〇一ページ)、その種の秩序を研究する数学を「ネット数学」と呼ぶことを提案している(五八八ページ)。

*6 : とはいえ、創発される秩序に対するなんらかの展望ないし課題や創発のための刺激を、特定の個体が「群がり」に対して与えることは、まったく不可能あるいは無意味というわけではなさそうだ。たとえば、ローレン・カーペンターは、一九九〇年、大きな講堂に集まった五〇〇〇人の群衆ひとりひとりにネットワーク化されたジョイ・スティックを与えて、彼の開発したフライト・シミュレーターを分散操作させた――機体の動きは、各人の入力の平均値となるように作られていた――ところ、彼らは口々に叫び合いながら、ほとんど上からの指揮や調整なしにジェット機を着陸させることができた。だがその五年後、より高度な入力装置と、より大きな動きの自由をもつ潜水艦のシミュレーターを開発したカーペンターが再び実験を試みたところ、三次元画面の潜水艦はぴくりとも動かなかった。しかし、彼がマイク越しに「右に行こう」と呼びかけた瞬間から、潜水艦は楽々と動き出し、与えられた課題だった怪獣の卵の捕獲にやすやすと成功したという(ケリー[一九九九-二]、二二-二三ページ)。

*7 : ジョンソン[二〇〇四]、第一章および一〇四ページ。

*8 : 藤本[二〇〇三]、二五ページおよび第六章を参照。 

*9 : ただし、英語の “emergence” という言葉に国語辞書(たとえば『広辞苑』)にはない「創発」という訳語をあてることが、どこまで適切かは疑問で、単に「出現」あるいは「発現」でもよいのかもしれないが、ここではこの言葉が特別な意味を与えられた学術用語であることを考慮して、学界の慣行に従うことにした。
もっとも、ではなにがその「特別な意味」なのかとあらためて考えると、必ずしも明快な答えがあるわけでもなさそうだ。たとえば、ケビン・ケリーは、システムの進化を扱ったその大著の結びの部分(ケリー[一九八九]、六八九ページ)で、次のような疑問を吐露している。[訳文は、若干変更した。]

この本では、「創発的」(emergent)という単語をよく使ってきた。複雑系研究者の用法に従えば、この単語は「一緒になって動く各部分から生み出される組織」といった意味になる。しかし、詳しく調べていくうちに、この言葉は意味のない単語になってゆく――あとに残るのは、本当のところはこの単語に意味はないという、漠たる印象だけなのだ。私は、「創発する」(emerge)という単語を使った場合すべてについて「起きる」(happen)を代用してみたが、それで問題ないように思えた。やってみていただきたい。グローバルな秩序はローカルなルールから起きる(happen)。ならば、「創発」という語は、なにを意味しているのか?

 彼は続けて、「複雑系」という言葉に対しても同様な疑問を呈している。それを読むにつけても、この分野でのわれわれの知識はまだまだあまりにも乏しいことを、痛感せざるをえない。

*10 : これは、仲正[二〇〇三]から借用した言葉である。本文で述べた、「自己」もまた創発されるというアイデアも、仲正からヒントをえている。

*11 : ジョンソン[二〇〇四]、二二四-二二五ページ。

*12 : ジェイコブズ[一九七七]、四六-四七ページ

*13 : ジョンソン[二〇〇四]、二一ページ。しかし、ここで肝要なのは、新しい秩序の「人為的創発」と「計画的創出」との違いを銘記しておくことだろう。ケビン・ケリー流に言えば、人為的に創発される秩序には、無統制(アウト・オブ・コントロール)にまかされる側面が強いことを覚悟しておかなくてはならない(ケリー[一九九九-一])。

*14 : ジョンソン[二〇〇四]、一九三-一九四ページ

*15 : タークル[一九八四]。

目次

第一章:自前主義と創発する革命
1.1. ディーン・フォー・アメリカ
1.2. イトーの唱える創発民主制
1.3. 住民プロデューサー
1.4. J-Kids大賞
1.5. オープンソースと共の理念

第二章:社会変化を捉える眼
2.1.1. 社会変化のS字波
2.1.2. S字波に関する注記:
2.2.0. 近代化過程へのS字波的視点の適用
2.2.1. 深度0の眼:諸文明の継起
2.2.2. 深度1の眼:近代化の三局面
2.3.3. 深度2の眼:近代化の三局面のそれぞれを対象とする分析
2.4.4. より高深度の眼:深度3および深度4の眼
2.3. 日本の西欧型近代化

第三章:共進化する智民たちとコンピューター
3.0. (前章における「S字波のレンズ」を通じて社会変化過程を見る眼についての整理)
3.1.1. 知識の生産様式の変化と「智民」の出現:個別科学(ディシプリン)からトランスディシプリナリーな知識へ
3.1.2. 最初の智民としてのテクノクラート(スーツ)
3.1.3. ハッカーズ:対抗智民
3.1.4. ギークス:智民の進化
3.1.5. ギークスから子供たち(キッズ)へ
3.1.6. 新型の社会集団の誕生:「ネットワーク」とNGO-NPO-CSO
3.1.7. 社会システムとしてのネットワーク
3.1.8. スマートモブズ:第一次情報革命の「出現の成熟」局面での智民
3.2.0. コンピューターとネットワークのあり方の変化
3.2.1. モバイルでユビキタスな「解放システム」
3.2.2.0. ウェアラブル・コンピューターと知覚するモノたち(成熟局面でのコンピューター(とそのネットワーク)の主要な特徴)
3.2.2.1. (再)身体化
3.2.2.2. 環境化
3.2.2.3. リアル化
3.3.0. 戦後日本の社会変化
3.3.1. 1945-1990:形成局面:戦後民主主義者→新左翼→新人類
3.3.2. 1975-2020 出現局面:狭義オタク→広義オタク→ネッター
3.2.3. 2005-2050 突破局面:スマートモブズ(?)

第四章:共の原理と領域
4.1.0. 近代社会の三つの原理と領域:公・私・共
4.1.1. 通時的視点と共時的視点
4.1.2. 公の原理と領域
4.1.3. 私の原理と領域
4.1.4. 共の原理と領域
4.2.0. 可視社会の中での監視とプライバシー
4.2.1. 監視とその二つの顔
4.2.2.プライバシーを護る仲介者
4.3.1. コモンズと共貨:「コモン・リソース」と「フリー・リソース」
4.3.2. ハーディン対オストローム
4.3.3. ローカル通貨
4.3.4. 共貨の基本的特質
4.3.5. 共貨への期待と障害

第五章:情報社会の新しい秩序
5.1.0. 創発(イマージェンス)と同調(シンク)
5.1.1. 創発(イマージェンス)
5.1.2. 同調(シンク)
5.2. ノンゼロ性と協力
5.3.0. ベキ法則
5.3.1. 貢献と報酬のベキ分布
5.3.2. 社会的ネットワークとベキ法則
5.3.3. ベキ法則への対処
5.3.4. 物理的制約下の正規分布から情報自由下のベキ分布へ
5.4. おわりに
5.5. 付記 情報社会の運営原則

巻末
あとがき

→トップページへ戻る