海洋レジームの現状と日本の対応

海洋レジームの現状と日本の対応
(『国際問題』1996年9月号「国際レジームと国際的統治」)


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多摩大学 情報社会学研究所
山内康英

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目次

「レジーム論」と海洋レジーム

国連海洋法条約と日本の国内対応

国連海洋法の批准にともなう二国間交渉

レジーム理論と海洋制度

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1. 「レジーム論」と海洋レジーム

はじめに

「国際レジーム(international regime)」は、それぞれの領域(issue)ごとにユニークである。「海洋レジーム」もその例外ではない。「海洋レジーム」について特筆すべき最近の出来事は、「海洋法に関する国際連合条約」(United Nations Convention on the Law of the Sea(UNCLOS):以下、国連海洋法条約†)が発効したことである。国連海洋法条約の批准と前後して、日本は海洋法制度を改正し、新たな200カイリ時代に備えることになった。本年、中国と韓国もまた国連海洋法条約の批准を終えている。

国際レジームを作る諸要素

国際政治学の「レジーム論」は、国際的な制度の持つ一般的な特性について議論を重ねてきた。その分析概念は「海洋レジーム」について、どのような示唆を含んでいるのだろうか。まず第一点として、特定の領域の「国際レジーム」は、通常、きわめて多くの、互いに関連する諸要素から成っている。国際レジームの要素として、「基本理念(principle)」や「行動の原則(norm)」、「ルールや手続き(rule and procedure)」などが挙げられるが、これらは数多くの国際制度(international institution)(条約、協定、合意書など)のなかに具体化されている。「レジーム論」が条約や協定、国家間の合意を対象とする以上、それは外交交渉の研究と密接に結びついている。

第二点として、こういった要素相互の関連性について言えば、特定の領域のレジーム内の諸要素は、いくつかの側面から「入子状」に作られている。†ここで「入子状」と言うのは、ある要素が、別の要素の中に含まれており、その要素が、また別の要素の部分となっている、という状態である。第三点として、このようにレジームの要素の間には、一種の階層性が認められるにもかかわらず、レジームの諸要素は、それぞれが独自の歴史的展開と発展の経緯、社会的・経済的機能を持っており、独自の運動を示すことが多い。通常の社会制度と同じく、国際レジームも不断の変化のなかにあるが、通常、その諸要素が異なる速度で変化するために、要素間の相互作用とレジーム全体の動きは、きわめて複雑なものになる。さらにこれに加えて、国際レジームの成立の経緯から、マルチラテラルか、バイラテラルか†、リベラルか、リアリステックか†、といった特有の形態(form)が、それぞれの要素に付与されている。

具体的な例を挙げれば、かつて海洋レジームには「領海3カイリ+公海自由原則」という「基本理念」があり、これが(例えば)「1958年海洋法」というマルチラテラルな国際条約に具体化されていた。このような基本理念や多国間の国際条約を「マクロの枠組み」と呼べば、日本の領海法や、北太平洋漁業条約のような二国間の条約を「ミクロの枠組み」と言うことができる。ここで言うミクロの枠組みは、「領海3カイリ+公海自由原則」という基本理念の枠内にある、という意味で、入子細工になっている。これを言い換えれば、基本理念をなぞる形で、いくつかのマクロの枠組みが作られ、その諸原則や諸規定から逸脱しないように、多くのミクロの枠組みが作られていた、ということである。

レジームの諸要素の変化の速度について言えば、「領海3カイリ+公海自由原則」はグロチウス以来、ほぼ二世紀にわたって成熟し、第二次大戦後、次第に衰退した基本理念である。1952年にできたバイラテラルなミクロの枠組みである北太平洋漁業条約†は、現在から振り返ってみれば、「領海3カイリ+公海自由原則」の変化のほぼ最終局面に作られたものであるが、この原則を維持・強化するような仕組みを内部に持っていた。さらに北太平洋漁業条約は、基本理念の変化に対応して、交渉のたびにその性格を変えながら91年まで存続していた。この意味で、北太平洋漁業条約という海洋レジームの一要素は、ある階層的な入子細工の中にあり、かつ独自の運動をみせてきた、ということができる。

海洋レジームと日本の対応

このような一般化された議論を念頭において、海洋レジームの最近の変化と日本の対応について考える場合、以下の論点を押さえる必要があるだろう。

1.国連海洋法条約という、海洋レジームの「マクロの枠組み(多国間国際条約)」と、日本の海洋法制度(領海法や漁業水域法など)や関連諸国との漁業条約(日韓漁業協定や日豪漁業協定など)といった「ミクロの枠組み(国内法制度や二国間条約)」の関係。

2.海洋レジームの変化にともなって、従来の二国間の交渉が、どのような変化を被るのか、また、領土問題や国内の政治情勢によって条約の改定作業がどのような影響を受けるのか、という外交交渉の進展。ここでは、交渉を行う両国の外交当局と、その交渉に影響を与える国内世論という二つのレベルに注目する必要がある。

3.海洋レジームは、国際社会の全体的な動向や、「レジーム論」の全般的な議論に照らして、どのような特徴を持っているのだろうか。本稿では、以上の三つの論点から、海洋レジームの現状と日本の対応について記述したい。

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2. 国連海洋法条約と日本の国内対応

国連海洋法条約の成立

1994年11月16日、国連海洋法条約が発効した。国連海洋法条約は17部320条と9個の付属書からなる大部なもので、領海制度、海峡の通航、排他的経済水域と沿岸国の漁業資源に対する権利、大陸棚、マンガン団塊などの深海底鉱物資源、海洋の環境保全、紛争の解決といった広範な制度を網羅しており、「人類史上最大の条約」などと言われる。このほかに国連海洋法条約は、点在する島々の外縁をもって領海の基線とする群島国家の権利、深海底資源を人類の共通の資産とし海底資源の開発を管理する国際海底機構を設置すること、海洋資源を調査し利用する技術を南北間で移転する仕組み、海洋司法裁判所の設立などの新しい国際社会のルールを含んでいる。

この海洋法条約を採択するまでに、数次の海洋法会議が開かれている。†第一次と第二次の国連海洋法会議は、それぞれ1958年と60年に開かれた。この二つの国際会議が採択した「海洋法条約」(領海及び接続水域に関する条約、公海条約、漁業及び公海の生物資源の保存に関する条約、大陸棚条約)は、今回、成立した国連海洋法条約よりも、ずっと小振りで限定的なものである。70年代以前の海洋法条約の基本理念は、「領海3カイリ=公海自由原則」だった。†

今回の「国連海洋法条約」を直接、作り出した第三次国連海洋法会議は、実質審議の始まった1974年のカラカス会期から数えて、足掛け9年にわたる長期の国際会議になった。フォード政権の末期、キッシンジャー国務長官を中心とする米国交渉団は、この大掛かりな多国間交渉に取り組み、複雑な利害の調整を経て、82年4月に国連海洋法条約が採択された。ところが米国はレーガン政権になって、深海海底資源開発の部分が南側諸国の要求に過度に譲歩し、先進国によるマンガン鉱採掘などの海底開発事業を妨害するとして、この条約から手を引いてしまった。82年以降、同条約は各国議会による批准作業を待っていたが、国際海底機構をめぐって、先進国と途上国の利害調整に手間どり、結局60カ国目(ガイアナ)が批准するまで、さらに12年間が経過することになった。†

他方、海洋レジームの柱の一つであり、漁業経済に大きな影響を与える領海制度について言えば、その主要な転換は1970年代の半ば、特に76年から77年にかけて、いわば連鎖反応的に生じた。この結果、77年以降、「領海12カイリ+経済水域200カイリ=資源管理原則」は、de facto に世界の標準として定着し、海洋レジームの現世代の基本理念となっている。日本も、77年7月に施行した領海法および漁業水域暫定措置法によって、若干の変則性を残しながらも、「領海12カイリ+漁業水域200カイリ」に移行した。†

日本の海洋法制度の改正

日本政府は、本年6月20日、国連海洋法条約の批准書を事務総長に寄託し、7月20日の「海の日」から、国連海洋法条約と国内の関連海洋法制度が発効した。日本の海洋法制度についての主要な改正点は以下のとおりである。

領海法の一部改正

12カイリの領海の外側に、さらに12カイリの「接続水域」を設定した。これによって、通関や出入国管理、領海の侵犯などの理由で、領海の内側から追跡が行なわれる場合、接続水域の範囲内でも日本の法令が適用される。接続水域の概念は古くからあるが、今回、正式に日本の海洋法制度に導入された。これにともなって「領海法」は、「領海および接続水域に関する法律」に改正された。†

排他的経済水域および大陸棚に関する法律

漁業水域暫定措置法(1977年)による200カイリの「漁業水域」に代えて、「排他的経済水域(EEZ: Exclusive Economic Zone)」および「大陸棚」が設定された。排他的経済水域については、領海基線から200カイリ(相対する外国がある場合には、当該国との合意線、もしくは中間線)、大陸棚についても、同じく領海基線から200カイリ(相対する外国がある場合も同じ)、さらに200カイリ以遠に大陸棚外縁が延長される場合には、国連海洋法条約に従うことになっている。†

大陸棚を画線する基準について、国連海洋法条約は二者択一的であって、(a) 大陸の自然な延長という海底の地理的条件から大陸棚の外縁を決定する。ただし基線からの距離が350カイリを超えてはならないなどの制限を付ける、(b)海底の地理的条件にかかわらず基線から200カイリまでを大陸棚とする、という二つの基準が並記されている。† 

海洋資源の保存及び管理に関する法律

この法律は、日本の漁業資源に初めて総量規制を導入した点で画期的なものである。†国連海洋法条約によれば、沿岸国は、自国の排他的経済水域内の生物資源の漁獲可能量を決定し、かつ、その中で自国の漁獲量を決定する権利を持っている。さらに自国の漁獲量と、排他的経済水域の漁獲可能量を勘案して、そこに余剰分があれば、沿岸国は他国の漁船の活動を認める。†

今回、導入された「海洋資源保存管理法」によれば、まず、農林水産大臣が特定の海洋生物資源†について、資源調査などに基づき、毎年の漁獲量の最大限度(「漁獲可能量(TAC: Total Allowable Catch)」)を主たる内容とする基本計画を策定し、次に、都道府県知事が、この計画を実施するために必要な措置を講ずることになっている。魚種によって、TACの策定方法は、このルートだけに限られない。

従来、日本の水産行政は、漁期や免許制度による漁船の隻数の制限といった漁獲努力量の規制によって、漁業資源の保護に努めてきた。しかしこの方法では、新しい漁労技術の導入や、過剰な設備資本の投下によって生ずる水産資源の乱獲を十分に防ぐことができない。これに対して、漁獲可能量制度は、最大持続生産量の水準に資源量を維持し、また回復させることを目的として、生物資源ごとの漁獲量の管理を導入した点で、従来の規制とは観点の異なるものである。総漁獲量の管理による水産資源の保護は、その必要性が認識されながらも、なかなか導入に至らなかった。今回、国連海洋法条約の批准というタイミングを利用して、日本も新たな漁業管理方式に移行した、と言うことができる。

排他的経済水域における漁業などに関する主権的権利の行使に関する法律

この法律は、日本の排他的経済水域で漁業を行なう他国の漁業者は、農林水産大臣の許可を必要とすること、本法律に違反し、拿捕された外国船舶や乗組員を早期に釈放するために、担保金制度を導入することなどを定めている。†

以上のように、国連海洋法条約という、海洋レジームの「マクロの枠組み(多国間国際条約)」と、国内の海洋法制度の関係についてみれば、今回、日本は国連海洋法条約の諸基準を適用し、世界標準にほぼ整合的な法制度を整備することになったと言うことができる。


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3. 国連海洋法の批准にともなう二国間交渉

海洋法は、海洋の資源についての権利関係を規定しており、その変化は必然的に各国の領海法制度や、漁業条約に影響を及ぼす。カール・シュミットの言葉を借りれば、かつて陸地にのみあった「ノモス(法秩序)」が、技術の進歩と産業の発展による人間の活動空間の拡大にともなって、海洋にも適用されるようになったのである。†領土や大陸棚、鉱物・漁業資源について、権利関係が輻輳すれば、当然、国家間の利害が衝突する。実際、国連海洋法条約が、沿岸国に大幅な権利の獲得を認める以上、潜在的な資源紛争の増加を予想せざるをえない。†このような潜在的な紛争を予防するために、関係国は外交交渉によってなんらかの調整を行なう必要がある。

「領海12カイリ+経済水域200カイリ」について言えば、これが世界的に導入され始めてからすでに約20年が経過している。前回の海洋レジームの大変化の時期であった1976─77年に、「領海12カイリ+経済水域200カイリ」レジームを導入した時点で、日本は次のような二国間の調整を行った。

北方領土

1977年3月の漁業交渉で、ソ連側†は北方四島を領海基線とする200カイリ法を前提として交渉を開始した。領土問題をめぐるこの対立のために、77年の4月から5月にかけて、日ソ漁業交渉は暗礁に乗り上げた。この間、日本漁船は北洋の漁場に出漁することができなかった。日本の77年領海二法(領海法および漁業水域暫定措置法)は、77年の対ソ交渉の交渉のカードとして作られたものである。†77年の2月に発表されたソ連の200カイリ法は、北方四島の上に北側からソ連の200カイリを画線していた。日本の200カイリ法はこれに対抗して、南側から北方四島の上に日本の200カイリを画線するものであった。

日本とソ連は6カ月間にわたる交渉によって、領土問題と北洋漁業の正面衝突を回避する枠組みを作り出すことに成功した。交渉の中で、日ソ両国は、自国の200カイリ法を利用しながら、領土と漁業という二つの課題を両立させ、しかも領土問題の取り扱いについて両国が受け入れることのできる枠組みを模索していった。最終的に成立した諸協定の背後には、日ソ間の全般的な関係を現状で維持しようとする両国の意思があった。四島周辺に重複する形で、互いの国内法による200カイリを画線し、漁業と領土を切り離すことによって、領土問題を「棚上げ」にするこの枠組みは、現在も維持されている。

200カイリ漁業水域の適用除外

1977年に設置された日本の200カイリは、日本海西部、東シナ海、黄海については画線されていない。したがって日本の西側半分については、おおむね領海12カイリのみとなっている。また韓国と中国の漁船については、日本の200カイリの全域で漁業水域暫定措置法の適用を除外していた。これと連動して、互恵的に日本の漁船は、両国の沖合いで操業する権利を持ち、また取り締まりの管轄権は、沿岸国ではなく、漁船の所属する国が持っている(これを取り締まりの「旗国主義」と言う)。両国との間には、領海3カイリ制度に基づいた日韓漁業協定および日中漁業協定があり、また77年の段階で、中国と韓国は200カイリに移行していなかった。この適用除外の措置は、日本の200カイリへの移行が、(ソ連以外の)周辺諸国に与える外交的な摩擦を可能な限り避けるためにとられたものである。

日本と韓国の間には1950年代に、李承晩ラインをめぐる激しい漁業紛争があった。日韓漁業協定は、日韓基本条約の一環として、65年に締結されたものであり、その経済的機能として、漁獲能力に勝る日本が有利になるような仕組みになっていた。韓国の水産業が発展するにつれて、日本のこの優位は次第に変化していたが、77年の時点で、この枠組み自体に手を付けることは得策だとは考えられなかった。

五海峡の3カイリ凍結

宗谷、津軽、対馬(東・西水道)および大隅の五つの海峡については、領海法によって「特定海域」を設定し、その主要航路の領海部分を3カイリに凍結した。この五つの海峡の幅は24カイリより狭いが、海峡の中央部に各国の艦船が通過する重要な航路がある。

各国の艦船の航行にとって重要であり、かつ、12カイリの領海を設定した場合に、公海部分がなくなる海峡について、国連海洋法条約は、艦船の航行を保証する「国際海峡」と、その際に艦船が遵守すべき義務などを定めた「通過通航」という新しい概念を導入した。1977年の時点で、日本がこの概念を援用せず、3カイリ凍結という方策を採った一つの理由として、非核三原則の問題があったと言われている。宗谷、津軽、対馬の三海峡は、ソ連と米国の海軍の艦艇が頻繁に通峡していたが、そのなかには核搭載艦船が含まれていた。海峡に公海部分を残せば、核艦船が通航しても、領海内に「核を持ち込ませず」という非核三原則上の問題が表面化することはない。特定海域の3カイリ凍結という日本の領海法附則は、米ソ両海軍国との摩擦を避ける方策になっていた。今回の領海および接続水域法でも、この部分に変更は加えられていない。

国連海洋法条約と二国間関係

今回の国連海洋法条約によって、以上のような二国間の枠組みのなかに変化するものがある。例えば近い将来、韓国と中国に対する200カイリの適用除外は廃止されなければならない。これは日本の漁業者の強い要求によるものである。†従来の二国間漁業条約によれば、日本と韓国、日本と中国の漁船は、互いの200カイリ内で操業を行うことができる(「相互乗り入れ方式」と言う)。1977年当時、日本の漁船が相手国の沖合いで漁獲する量は、中国と韓国の漁船が日本の沖合いで漁獲する量よりも大きかった。しかし現在では、韓国と中国の漁船の漁獲量のほうが、約2~3倍多いと言われている。またいくつかの重要な漁場で、対象魚種が産卵期にあるなどの理由で、日本やロシアの漁船が禁漁期間中であっても、韓国と中国の漁船は操業を続けている。この点について日本の漁業者の不満は大きい。†

200カイリの適用除外の廃止問題について、日本政府は、200カイリの排他的経済水域の設定を先行させ、移行期間中は二国間の漁業条約の枠組みは維持しながら、両国の200カイリを前提とした新たな漁業条約の交渉を始める方針をとっているようにみえる。

日本側は、本年2月20日の閣議で、国連海洋法条約批准と、これにともなう排他的経済水域設定の基本方針を了解した。これに対処する形で、韓国も同日、排他的経済水域の設置を発表した。領有権をめぐり対立が続く竹島(韓国名・独島)問題については、最近の外務大臣の発言や政府首脳の会談でも、それぞれが「自国領土」とする一貫した主張に変化は見られない。排他的経済水域については、日本側が竹島と韓国鬱陵島の中間、韓国側は竹島と島根県隠岐島との中間にそれぞれ線引きを主張し、水域の重複が避けられない情勢になっている。

他方、日本の連立与党三党は、国連海洋法条約の批准にともなう韓国、中国との漁業協定改定交渉について、(1)今年中に両国と改定方針を合意する、(2)交渉期間は1年以内をめどとする、(3)この間に合意が得られないと判断した場合、その1年後に排他的経済水域を全面的に適用する、との要望を政府に申し入れており、†これが日韓・日中漁業協定改定交渉の時間的制約条件となるであろう。いずれにしても200カイリの排他的経済水域を先行させ、相互乗り入れ方式という既存の漁業条約の枠組みは維持する、という暫定的な状態を長く続けることはできない。

このような状況で、漁業協定交渉を開始する論理的な一つの方策は、領土問題と漁業問題を切り離し、領土問題を「棚上げ」にして、漁業協定を改訂することである。他方、各国がTACを内容とする漁業資源管理制度を導入すれば、総量規制の枠内に、他国の漁船の漁獲量を含めた形で実施計画を作成し、また旗国主義に代えて取り締まりの権限を沿岸国に移さなければならない。一つの可能な形は、ロシアとの漁業協定のように、互いの200カイリ内での漁獲量を等しくするという「等量原則」を採用することである。この原則は、現状の漁業種の変化を最小限に抑えるためには有効であろう。しかしながらこのような微妙な交渉を行なうためには、少なくとも交渉者同士が、「棚上げ」原則の採用に同意し、ある程度「玉虫色」にならざるをえない解決策を協力して模索する保証がなければならない。また、漁業協定が「棚上げ方式」で解決したとしても、排他的経済水域の重複という問題は残っており、領土問題に画期的な解決が見出せないとすれば、ここでもなんらかの玉虫色の解決策を作り出す必要がある。

幸いなことに、中国、韓国とも、外交当局および政府首脳のレベルでは、この方針について一定の合意があるようにみえる。本年3月にバンコクで開かれたアジア欧州首脳会議(ASEM)は、この点について瀬踏みをする契機となった。

3月1日、橋本龍太郎首相は李鵬中国首相と初の首脳会談を行なった。この席で橋本首相は、排他的経済水域の設定に関連して、尖閣諸島の問題が再燃している点に言及し、「新漁業秩序のあり方を冷静かつ友好的に意見交換したい」と述べ、領有権問題を棚上げにした形で漁業協定の改訂交渉を提案した。これに対して李首相は、「未解決の問題があるが、海洋法条約の原則を踏まえ友好的な話し合いによる解決を求めたい」と応じた、と報道されている。さらに橋本首相は翌日、金泳三韓国大統領と会談し、この席で両首脳は、竹島問題を事実上切り離して、排他的経済水域設定と漁業協定の交渉を早急に始めることで合意した。†

このような首脳間の会談の結果を受けて、現在、実務レベルの協議が進行中である。4月9日、10日の両日、日本と中国による「海洋法および漁業などの問題に関する非公式協議」が外務省で行なわれた。会議の冒頭、中国側代表団は「中国側はこの協議を十分に、重視している」と述べた、と報道されている。また韓国との第一回実務者協議が5月9日、10日の両日、霞が関の外務省で開かれた。両国との交渉は、東京─北京、東京─ソウルと所を換えながら継続して行われる予定である。

韓国の国内事情

昨年は第二次大戦終結50周年にあたり、その他の事件とあわせて、とりわけ韓国との間でこのような微妙な交渉を行なうにはまったく不適当な時期であった。現在、二国間関係は沈静化の方向に向かいつつあるものの、国民感情でみる限り、依然として日本と韓国の外交関係には脆弱な部分が残っている。

特定の外交課題に取り組む交渉者は、そのとりうる選択肢について、それぞれの社会から拘束を受ける。例えば経済問題については、交渉者の背後に国内の経済的利益集団があり、これが交渉者の活動を制限する。場合によっては、国内世論に対処しながら協議を進めるために、交渉者同士が結託するケースさえ見られる。領土問題は、国内世論が強い感情的反発を示す政治課題であり、交渉者と世論という二つのレベルの乖離がはなはだしくなれば、合理的な外交交渉を行なうことはむずかしくなる。

中国と台湾

日本は中国との関係で、漁業協定と領土問題に加えて、大陸棚の画線でも対立している。日本が「排他的経済水域・大陸棚法」で領海基線から200カイリまでを大陸棚としたのに対し、中国はもう一つの基準、すなわち「大陸の自然延長に基づく大陸棚の幅員」を採用している。東シナ海の大陸棚の地理的構造についても、日本と中国は意見を異にしている。中国側の主張によれば、東シナ海の大陸棚全域が中国大陸の自然延長になっており、この場合、「沖縄のすぐ西まで」中国の大陸棚領有権が及ぶことになる。

中国は1980年代以降、南シナ海、東シナ海で海底鉱物の資源調査に力を入れている。92年には東シナ海の大陸棚で、日本との中間線より中国側の海域に石油鉱区を設置し、海底油田の探査作業について国際入札を行った。†また、本年2月には、尖閣諸島の周辺で海底油田の試掘を行なっていた中国の探査船から、天然ガスの燃焼炎らしいものが噴き出しているのが視認された、と報道されている。†

これとは別に、尖閣諸島の領有権をめぐって、日本と台湾の間の論争が表面化してきた。新聞の報道によれば、政府は民間ベースの漁業協定を締結することで、この問題を迂回する方針である。†

予想される困難な外交

国連海洋法条約の批准に端を発する外交交渉は、以上のように現在、多岐にわたって進行中である。日本は領土と漁業の切り離しを前提とする「棚上げ方式」で交渉に臨もうとしているようにみえるが、この戦術が功を奏するか否かは予断を許さない。いずれにしても「棚上げ方式」は、ほとんど必然的に、領土問題について「同床異夢」の解決を目指す微妙な外交交渉をともなう。また二国間交渉とは言いながら、実際には日本、韓国、中国の3カ国が互いに交渉を牽制し合う三つ巴の交渉になる可能性もある。日本国内の事情から、交渉の期間は、1996年7月から最長2年間に限られている。海洋レジームの過去の交渉例から経験則を導くことができるとすれば、以下のポイントが重要になるであろう。

第一点として、交渉のカードや戦術は十分なのか、ということである。海洋レジームをめぐる交渉は、資源や領土といった複数の課題と、課題ごとの利害関係に結びついている。複数の利害関係を多元的に釣り合わせる外交交渉は、連立方程式を解く作業に似ている。†言い換えれば、十分な数と量の交渉のカードが用意されていなければ、交渉者は各課題を組み合わせることによって、当事者双方を満足させる解決策を作り出すことができない。具体的に言えば、海底油田の共同開発や、日本の排他的経済水域内での漁業の継続権、重複する経済水域での互恵的な共同管理といった交渉のカードを可能な限り多く準備しておく必要がある。交渉にあたっては、戦術をフレキシブルに切り替え、次々と選択肢案を提示することが交渉全体を円滑に導く。

第二点として、領土問題についての玉虫色の解決は、果断主義を求める国内世論と両立しない可能性が高い。世論の高揚には波があり、適当な交渉のタイミングを捉えるとともに、外交交渉と世論という二つのレベルを切り離すような各国の政治的努力が重要である。第三に、これと関連して、外交交渉に権利義務関係が付随する場合、実務者レベルでの交渉の範囲を超えることが多い。また、課題が複数の利害関係に関連していれば、国内の調整も一筋縄ではいかなくなる。したがって交渉のどこかの段階で、政治家が強いリーダーシップを発揮して外交交渉を主導する必要が生ずるであろう。


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4. レジーム理論と海洋制度

ここ50年間の海洋レジームの変化を概観するとき、とりわけ目を引くのは次の二つの大きな流れである。すなわち第一点は、海洋レジームの基本理念が、公海自由原則から資源管理原則に変化したことであり、第二点は、海洋レジームのマクロの枠組みである国際海洋法が、その対象とする領域を大きく広げたことである。

実際には、この両者は同じコインの裏表である。公海自由原則とは、漁業活動などにおける(市場の)自由競争原理を意味しており、国家の管轄権の及ぶ範囲を可能な限り狭くすることによって、各国の遠洋漁業などに自由な活動を提供するものであった。これに対して資源管理原則は、経済的排他水域や大陸棚によって、沿岸国に沖合い資源を利用する権利を付与するものである。その権利をオーソライズするのが海洋法に他ならない。したがってその所掌範囲は必然的に拡大する。

漁労技術の高度化と投下される資本の増大を前提とすれば、なんらかの管理を行なわなければ、海洋資源は必然的に乱獲と乱費の対象となる。管理を目的として管轄権を設定するためには、所有権を明確にしなければならない。海洋資源の管理をグローバルに行なう場合、この所有権の設定の仕方に応じて、理念的に二つの方法が考えられる。一つの方法は、資源を各国の主権に割り当てることによって、個別に管理を行なおうとする方法であり、もう一つの方法は、海洋資源を人類共通の資産として、超国家的な管理機構を設立することである。さまざまな経緯から、漁業と大陸棚資源については、前者の基準が設定された。現世代の海洋レジームの特徴は、深海海底の鉱物資源開発について、後者の基準を採用したことである。この基準が採用された背景には、南北問題があり、国際社会でより公平な富の配分を行なおうとする主張があった。

このような海洋レジームの変化について、国際政治学の研究はどのように分析してきたのだろうか。海洋レジームを取り上げた研究例として、コヘインとナイの『権力と相互依存(Power and Interdependence)』†がある。この研究は、二つの意味で画期的なものであった。第一に、彼らは国際的な政治経済の研究として、二つの領域(issues)、つまり「国際金融レジーム」と「海洋レジーム」を分析の単位として用い、新しい比較政治の可能性を示すことができた。第二点はそのために彼らが「レジーム」、つまり「国家間の制度、ルール、手続き、その他のアレンジメント」を分析の中心においたことである。

彼らの分析によれば、「過去50年間の国際政治における『状況』(condition)のトレンドを見ると、理念型としての『複合的相互依存状況』が、より適切なものになりつつある」。つまり「伝統的な国際政治理論(リアリスト・パラダイム)は、これを海洋政策と国際金融の領域にあてはめた場合、しだいに役にたたなくなっている」。云い換えれば彼らの主張は、第一に海洋レジームが「複合的相互依存状況」つまり、(ア)より軍事力の強度の低い、(イ)より国際ネットワークの密度の濃い、(ウ)ポリティカル・アジェンダの順位のより不確定な政治課題に移行した、ということ、第二に国際的な制度形成の主要な要因は国際海洋レジームに関して、「国際組織的な」、つまりより超国家的な国際機関、およびトランス・ガバメンタルなネットワークが支配するものに変化しつつある、ということである。

現時点から振り返ってみて、彼らの予想はいくつかの点で正しく、いくつかの点で誤っていた。第一点として、1977~78年の世界各国の200カイリ経済水域宣言、あるいは水産資源の「国際的囲いこみ運動」は、超国家的な、あるいは脱国家的なネットワークに依拠したものではなく、逆に既存のネットワークを断ち切るようなナショナリスティクな、あるいは国家中心的な(ステイト・セントリックな)ものであった。第二点は、それにもかかわらずその行動は、たとえば米国とソ連の政策においてみられたように、軍事的なハイ・ポリティクスを直接反映したものではなく、主として国内の経済的な要求によって動かされたものであった、ということである。云い換えれば、ロー・ポリティクスすなわち非軍事的、経済的状況の展開は必ずしも国際関係の非政治的、非国家中心的傾向を意味しないということ、さらに経済的な相互依存関係が進むにつれて、ある種の国家の役割が増加しつつあるようにみえるということである。とりわけ資源を国家主権の傘に入れることによって、これを経済的に利用したり、長期的な利用計画を立案しようとするときに、これが顕著に現われた。

第三点として、海洋レジームの形成要因として、超国家的な国際機関がより重要な役割を果たすようになる、というコヘインとナイの主張については判断がむずかしい。国連海洋法条約を作り出す舞台となったのは、確かに国連海洋法会議であるが、この会議は超国家的な機関と言うよりは、国家を参加者とする大掛かりな国際会議だったと言うべきであろう。また新しい海洋レジームの導入にともなって、各国は個別に、きわめて困難な外交交渉に取り組むことになった。

海洋レジームの特徴は、それがマルチラテラルなレジームである、ということである。海洋レジームは国際社会の所有権に関連しており、一般化された行動の原則が参加者に平等に適用される。†レジーム論の理論的な系譜をたどって見るとき、それが「国際組織(international organization)」との対比で導入された、という点は興味深い。国際社会にいかなる方法で秩序が導入され、維持されるかを考える場合、地域統合や国連といった超国家的な国際社会の新たな「主体(actor)」を創設し、拡大することによって、国際社会の秩序を維持しようとする考え方がある。これに対して、国際レジームとは、国家の併存を前提としながら、「国家間の制度や合意、政策決定者が行動の前提とする諸前提の束」によって、国際社会の秩序を維持する領域が広く存在する、という見方をとっている。†この意味で、国際レジームの研究は、政策決定者や外交に携わる人々の「認識」や「理解」に焦点をあてることになる。海洋レジームについて言えば、「公海自由原則」から「資源管理原則」へという基本理念の移行は、実は政策決定者、外交当局および漁業者の認識や理解の変化と直接、関係するものであった。

海洋レジームから見た「レジーム論」について言えば、マクロの枠組みの変化と連動して、非常に多くのミクロの枠組みが再交渉の対象になる、という点が興味深い。海洋レジームは漁業、海上交通、鉱物資源利用、環境といった日常的で多様な社会活動と密接に関連しており、個々の活動領域については多くの国際的な取り決めがある。領土問題に典型的にみられるように、国家間の交渉は、時にはきわめて危険な外交的駆け引きを含んでおり、高度の交渉能力が要求される。世界は全体性と部分性を合わせ持っている。国際社会の諸問題に対処する場合、グローバルな基本理念を構想すると同時に、これと連動する数多くの国際制度をどのように巧妙に作り出すのか、という両面を視野に収める必要があるであろう。


ここで言う国連海洋法条約は1958年の海洋法との対比で、82年条約などと呼ばれる。

Vinod K.Aggarwal, Liberal Protectionism: The International Politics of Organized Textile Trade, University of California Press, 1985, pp. 17-29.

ここで「マルチラテラル」と「バイラテラル」は、レジームの基本理念や行動の原則が、参加者に対してどの程度、一般的に(斉一的に)適用されるのか、あるいはこれと対照的に、行動の原則が二国の国家間関係を反映する形で個別に作られるのか、という区別である。

ここで「リベラル」と「リアリスティック」は、レジームの要素について、権力関係がどの程度明示的に使用されるのか、という区別である。

1952年北太平洋漁業条約(日米加漁業条約)について言えば、講和条約との密接な連繋で作られた、という意味で「バイラテラル」かつ「リアリステック」な側面と、領海3カイリ制度という一般的原則を、すべての加盟国に適用し、「自発的抑止原則」という形で、そこからの逸脱を可能な限り普遍的なものにしようとしていた、という点で、「リベラル」かつ「マルチラテラル」な側面を持っていた。

1930年に国際連盟の主催した国際法典編纂会議で海洋法が審議された。

1958年に採択された「領海および接続水域に関する条約」には、領海の幅が定義されていない。これは領海幅を3カイリにするという国際的な合意ができなかったからである。この未決着の点に対処するために60年の国際会議が開かれたが、再び合意を得ることはできなかった。58年の海洋法条約は、戦前から60年代にかけて形成された国際慣習としての海洋法を集大成したという意味合いが強い。

国連海洋法条約は、60カ国目の批准の1年後に発効することになっていた(国連海洋法条約第308条)。

日本は1983年、国連海洋法条約に署名している。

このほか、領海の幅を測定するための基線として、直線基線が適用されることになった。

これによって漁業水域暫定措置法は廃止された。

国連海洋法条約第76条。

山内康英『交渉の本質:海洋レジームの転換と日本外交』、東京大学出版会、1995年、第5章。

国連海洋法条約第61条および62条。

水産庁では、資源状態が悪く、外国船が漁獲している魚種を対象とし、徐々にその範囲を広げていくことを考えている。当面の候補となる魚種は、マイワシ、マアジ、サバ類、サンマ、スケソウダラ、スルメイカ、ズワイガニなどである。対象となる魚種は農林水産大臣が制令で定める。

この他に次のような関連法律が改正された。海上保安庁法の一部改正、水産資源法の一部改正、海洋汚染および海上災害の防止に関する法律の一部改正、原子路等規制法および放射線障害防止法の一部改正。なお、このなかで水産資源法の一部改正は、養殖に用いる水産種苗の輸入について、輸出国に特定の病原体に汚染されていないことの証明を求めるものである。

カール・シュミット(新田邦夫訳)『大地のノモス』、福村出版、1976年。

国連海洋法室の報告によれば、ウクライナとロシア間の黒海の小島、ギリシアとトルコ間のエーゲ海の島々、カリブ海の島々などで、海洋法条約の発効と前後して関係国が経済水域の設定を発表し、これを発端として領土紛争が再燃している。共同通信、1996年2月22日。

1991年以前の記述については、ソビエト社会主義共和国連邦の略称としてソ連を用いる。

TACの導入については、水産庁の審議会が設置した海洋法制度研究会(座長・佐野宏哉大日本水産会会長)が、昨年12月にとりまとめた報告書の中で提唱した。

全国漁業協同組合連合会と大日本水産会は、国連海洋法条約批准にともなう200カイリの排他的経済水域の全面設定、全面適用の早期実現を求めて、本年2月28日、「200海里確立全国漁民決起大会」を開いた。共同通信、1996年2月22日。

韓国と中国の漁船による定置刺網や籠などの被害は、1994年に424件、合計約1億1000万円に上るという計算がある。共同通信、1996年2月20日

この要請書は3月22日、国連海洋法条約批准と海洋法制度関連法案の閣議了承に付随する形で提出された。

『共同通信』1996年3月1日。また池田行彦外相は3月2日、バンコクで銭其中国外相と会談し、国連海洋法条約批准にともなう新漁業協定交渉を、できるだけ早く開始することで一致した。

平松茂雄「本格化する中国の東シナ海石油開発」『東亜』1994年5月号、9~29ページ。

外交筋によると、本年2月4日から5日にかけて、尖閣諸島の北北東約320キロの日中中間線から約570メートル日本側に入り込んだ海域で、中国の石油掘削船「勘探三号」のパイプからガスの燃焼炎とみられる大きな炎が噴き出しているのを日本側が確認した。油田専門家などの分析結果から、日本政府は「勘探三号」が試掘を実施したのはほぼ間違いないとみている。共同通信、1996年2月11日。

『日本経済新聞』1996年8月18日

山内、前掲書、270ページ。

Robert O.Keohane, and Joseph S. Nye, Power and Interdependence: World Politics in Transition, Little, Brown and Company, 1977.

John Gerard Ruggie, "Multilateralism: The Anatomy of an Institution," John Gerard Ruggie, ed., Multilateralism Matters: The Theory and Praxis of an Institutional Form, Columbia University Press, 1992.

言うまでもなく、国際組織と国際レジームは併存している。たとえば、国際原子力機関(IAEA)と核不拡散レジームは密接な関係にある。しかしながら国際レジームとは、主体ではなく、間主観的(intersubjective)な社会的事実である、という点は重要である。

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