カンボジアの選挙と国連によるメディアの利用

カンボジアの選挙と国連によるメディアの利用(『NIRA政策研究』)平成8年12月

多摩大学 情報社会学研究所
山内康英

UNTACの活動と選挙

radiountac.gif

1992年3月から1993年9月にかけて行われた国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)は、国連の平和維持活動として大きな成功を収めた事例である。しかしながらUNTACの設立に際しては、UNTACのマンデイト(付託任務)が要求する「自由かつ公正な」国民選挙と憲法の制定、これに続く新しい国家体制への移行を、民主的なプロセスによって達成することは困難だとする予想が多かった。UNTACが活動を開始した後も、市民の間に、秘密警察──それがどの程度、現実に活動していたのかは別にして──に怯え、政治的な言動を忌避する雰囲気が強く残っていたのは事実である。

1993年5月に行われた国民選挙は、大方の予想に反して無事に終了した。登録有権者の89.56%という投票率、および13年間政権の座にあったプノンペン政権が、僅差とはいえ、野党FUNCINPEC(United Front for an Independent, Neutral, Peaceful and Cooperative Cambodia)に破れるという選挙の結果は、おそらくプノンペン政権およびFUNCINPEC自身を含めて、現地の大方の予想を裏切るものだった。

UNTACの成功は、さまざまの要因──平和活動各部門の長とPKO各部隊の構成員の資質、国連の活動を歓迎して国連特別代表と協力する政治的・社会的基盤、周辺国の不干渉、マンデイトのフィージビリティーおよび多くの幸運──に帰せられるであろう。(註1)他方、UNTACは、国民選挙に際して、放送メディアを積極的に利用したことで知られている。たとえば選挙に先立って、UNTACは約20トンの携帯ラジオを無料で配布した。(プノンペンの市場には中国製の携帯ラジオが出回っており、約7ドルで購入することができた。)またUNTACは機材を持ち込んで、自前の放送局(「ラジオUNTAC」)と地方ネットワークを運営し、選挙活動期間の前後からUNTACの撤収まで、カンボジア全土にラジオ放送を行っていた。UNTACの選挙部門を統括したレジナルド・オースティン部長は、インタビューに応えて「カンボジアの国民選挙はラジオ放送に支えられた」と述べている。

kanbo_media.gif

ラジオUNTACの活動

1993年4月7日から5月19日にかけて行われた選挙活動期間に、ラジオUNTACは、(a) 選挙に関連するプログラムを連日放送し、(b) 各政党に政権放送の時間枠を割り当て、(c) 不当に中傷された政党が反論するための便宜を供与していた。選挙期間中に放送されたプログラムの一例を、当時の資料から再現すれば次のようなものである。

A 5月23日から28日に行われる選挙は、この国の将来の政治的在り方を決めるものなんだ。もっと詳しく言えば、これは制憲議会の選挙なんだが、この議会の議席を獲得した政党は、カンボジアの政治制度を決めることになる。

B なるほど、つまり制憲議会の議席の配分を獲得した政党は、この機関に代表を送ることになるわけだね。制憲議会の議席は120あるから、全国から120人の代表が選ばれるわけだ。

A その通りだ。各地方の代表数は、その州の登録投票者数にしたがって決められている。(以下略)

また、選挙終了後のプログラムのトピックスは、以下のようなものだった。

UNTACスポークスマンのブリーフィング/明石特別代表の声明、UNTAC各部門からのお知らせ、カンボジア政治指導者の発言についてのレポート/国連事務総長の進捗報告、安全保障理事会決議、コア・グループ会合からの報道/選挙期間中および選挙後のUNTACの中立性についての特集とドラマ/制憲議会の機能/憲法の諸原則、各国の憲法制度/民主主義社会で選挙に破れた政党の役割(インタビュー・シリーズ)/人権/ベトナム-カンボジア国境の現状(東部地方からのレポート)/帰国避難民のレポート/UNTAC各部門の活動(インタビュー)/各国大使のインタビュー(平和プロセス、国際支援、カンボジアとの二国間関係について)/基礎的経済問題と対カンボジア国際支援についての教育番組/国連機関とNGOの活動/地雷に注意を喚起するドラマ/女性、青少年および宗教問題についてのインタビューとレポート(平和プロセス、国家的和解および民主主義に焦点)、平和と国家的統合のための祈祷/『今日のゲスト』(平和プロセス、経済的再建、国連およびNGOの活動、文化、教育に焦点を当て、さまざまな人生経験を持つカンボジア人、外国人のインタビューに基づく特集)/『リスナーからの手紙』(毎日の手紙は1000通以上)/毎朝1時間の音楽番組『ライブ・フォーン・コールズ』(合計40曲のリクエスト受付)/週間特集番組『健康と栄養の時間』/カンボジアの経済、文化、女性問題などを扱うレギュラー番組/UNTACに参加する国々の文化と伝統についてのシリーズ番組/カンボジアに関する各国報道の紹介。

選挙当時、カンボジアには、定期・不定期をあわせて約30種類の印刷メディア(新聞、パンフレット)と、地方局を含めて約7局のテレビとラジオがあった。しかし、その大部分は各政党の運営か、政党と強い繋がりのあるものだった。放送メディアについて言えば、5月から放送を始めた独立系テレビ局を除いて、プノンペン政府、クメール・ルージュおよびFUNCINPECが、情報宣伝の一環として番組作成を行っており、放送内容にはそれぞれ強い党派性が表れていた。このような社会状況の常態として、噂話や流言が市民の行動を強く左右する傾向が見られ、主としてプノンペン政権を中心に国民選挙を目標とする情報操作が行われていた。

UNTACの活動を特徴づけたのは、ラジオ局を設置して、独自の立場からカンボジア全国に放送を行っただけでなく、『メディア・ガイドライン』を設定して、報道の内容に一定の統制を行ったことである。『ガイドライン』は、第一に、「自由かつ民主主義的な報道」を、言論、出版、放送、パッケージ・メディアの制作が自由であり、また検閲を受けないことと定義し、第二に、誹謗中傷あるいは戦争を誘発するようなプロパガンダ、および国家的、民族的、宗教的敵意を喚起し、敵対行為あるいは暴力を唱導する不正なメディアの利用を防止・矯正し、処罰するとの方針を述べていた。また『ガイドライン』は、カンボジアの各報道機関に、バランスの取れた報道をするように強く求めるとともに、立候補した各政党に対しては「メディアへの公正なアクセス」を保証していた。このようなUNTACの強力な活動が可能だったのは、外務、国防、財務、公安情報などの行政機関を、UNTACの直接の管理下に置くことが、UNTACの活動の根拠となったパリ協定で定まっており、カンボジアの諸党派は、これに合意していたからである。

以上のUNTACの活動を所轄していたのは、情報/教育部門の統制部局(The Control Unit of the Information/Education Division)である。統制部局は『ガイドライン』を起草すると同時に、モニタリング・チームを組織して、各政党の出版物と放送を検査・評価していた。また1992年3月に「メディア・ワーキンググループ」を組織し、各政党の情報担当者が、UNTACの部員と共に会合を開いて意見交換を行う仕組みを作っていた。統制部局はまた、「カンボジア報道協会(CAMA: Cambodia Media Association)」を設立して、現地の編集者やレポーターが、UNTACや国際プレスと交流する場を作った。さらに選挙の終了後には、「自由メディア移行支援チーム」を設置して、カンボジアのジャーナリズムが、プロフェッショナルな立場から、中立・公正な報道を行うような社会環境を醸成する支援活動を行った。

情報/教育部門の部長は、米国人のティモシー・カーニー氏、副部長はロシア人のバレンティン・シビリドフ氏が務めていた。とくにシビリドフ氏は、ソ連時代からインドシナ半島各国で外交を担当した経歴が長く、インタビューに応えて「政治におけるグラスノスチの重要性」を強調した。このようにUNTACの情報活動は、米・ロの専門家が協力して担当していたことになる。


平和維持活動とメディア

国連の平和維持活動が成功するためには、その活動を評価する広範な社会的支持層を作りださなければならない。情報や経済活動の流入が、受け入れ国の社会を民主主義的で、より国際環境に開かれたものにし、国連の活動がその流れを強化するという相乗作用が生じたとき、言い換えれば、平和維持活動が市民の参加を集めながら、社会の望ましい潮流を作りだす触媒として働き始めたときに、国連の平和維持活動は、それが単独で持つ力の何倍もの社会の動きを作りだすことになる。しかし一端、この動きが逆の方向に働きだした時には、その方向を変えることは容易ではない。

国連の平和維持活動が、このような望ましい正のフィードバック効果を作りだすためには、多岐にわたる、かつ同調の取れた微妙な取り組みを必要とする。その最終的な結果は顕著であっても、一つ一つの取り組みの効果を測定することは難しい。UNTACラジオは、その放送プログラムの中に、「UNTAC」および「クメール」という言葉を散りばめていた。この二つの言葉を強調する理由として、「UNTACは国際社会を象徴し、クメールとはカンボジアのナショナリズムを強調するもの」であり、一方で健全なナショナリズムの育成によってカンボジアの統合を維持すること、他方で、カンボジア情勢が国際社会の監視の下にあるという圧力を意図している、という番組ディレクターの説明があった。国連のメディア利用の中に、このような注意深い取り組みがあったのは事実である。(註2)

国連の平和維持活動とは、微妙な外交的綱渡りであり、UNTACのメディアが、必ずしも根本的な社会的和解を作り出した訳ではない。しかし短期的に見れば、メディアの活動は、ある種の社会的潮流を作り出す際に、大きな役割を果たす場合がある。ラジオUNTACは、広範なリスナーの信頼を獲得し、既存の政治組織が維持しようとした心理的呪縛から、人々を解放するプロセスで一定の役割を担った、と考えることができる。


--------------------------------------------------------------------------------

1.山内康英「カンボジア1年――日本はUNTACから何を学ぶか」『中央公論』1994年8月号。

2.なお、カンボジア人であるこの番組ディレクターは、1970年代に米国に移住し、カリフォルニアのラジオ局で番組編集を担当していたが、その経験を自国社会に生かすべくUNTACの活動に参加したということだった。

→トップページへ戻る