ネットワーク社会学

公文俊平

【この原稿は、『マルチメディアブロードキャスティング』の「インターネット最前線」1998年2月に掲載されたものです。

http://www.mmbc.jp/mmbc/inter/net/980220ne-1.html 】

情報社会論の偉大な先達

日本で、世界に先駆けて情報社会論が展開されたのは、1960年代のことだった。1963年に発表されて衝撃を与えた梅棹忠夫氏の論文、情報産業論がその嚆矢となり、60年代の後半から70年代の前半にかけて、「情報化」あるいは「情報社会」という言葉自体がまず日本語として創り出され、広く普及したことは忘れられない。北川敏男氏の総編集で、1970年代の半ばに続続と刊行された学習研究社の『講座情報社会科学』(全○○巻)は、この時代の成果の一つの集大成とでもいうべき試みだった。

しかし、数多ある情報社会論者のなかでも、その透徹した分析的視点と洞察力において、とくに今の時点から見て群を抜いていたのは、なんといっても故増田米二氏だった。  増田氏はすでに1968年という早い時期に『情報社会入門:コンピュータは人間社会を変える』(ぺりかん社)を世に問うている。日外アソシエーツ株式会社の『CD140万冊出版情報情報—戦後から現代まで』で、「情報社会」をキーワードして検索すると74冊の書物がでてくるが、増田氏のこの本の出版年次が一番古く、北沢方邦氏の『情報社会と人間の解放』(筑摩書房 1970)がそれに続いている。  この増田氏が1976年に第二弾として『情報経済学』(産業能率短期大学出版部)を出版しているが、それが刊行された直後、増田氏を囲む座談会が高根正昭氏と私の三人で行われている(情報化の価値論的意味を問う——「情報経済学」をめぐって、PPP、1976年9月)。数日前、たまたまそのコピーが出てきたので読むともなく読んでいて、増田氏の眼力の鋭さと見通しの確かさに、おもわずうなってしまった。慌てて全体を注意深く再読し、増田氏こそ初期の情報社会論者の最高峰に位置する先達であった、という思いをあらためて深くした。私自身も、増田氏からずいぶん多くの影響を受けていることがよくわかった。

というわけで、今回は当時の増田氏の鋭い眼力の一端を、この座談会記録から拾って紹介してみよう。(ちなみに、多分このころだったと思うが、私は増田氏に、「こういう研究をおやりになっていらっしゃるからには、コンピューターもさぞかし使いこなしていらっしゃるのでしょうね」と尋ねてみたことがある。そうしたら増田氏はにやっと笑われて「いや、さわったことも見たこともありません」と答えられた。もちろん、まだパソコンなどはなかった、メーンフレーム全盛時代の話である。増田氏は、実際にコンピューターにさわったことがなかったからこそ、よけいに熱い思い入れをコンピュータに対して持ち、未来の情報社会への期待をコンピューターに託すことができたのであろう。  とりわけ興味深いのは、増田氏が「情報経済学」を書く仕事にとりかかったところ、結局その中身は通常の経済学の範囲を超えてしまったという点である。氏は座談会の中で、それを情報の価値には三つの側面があるという形で説明している。いわく、「1つの側面は、物財を生産する中間財としての役割で、オートメーションとか、いわゆる工業社会の物的な生産力をもっとシフトしていくものとして作用するだろう。  それから次に、システム財というか、情報がいろいろのシステムの生産、この場合の生産というのは何も物に限らないわけで、その場合のシステムというのは、これは広く解釈すればインスティテューション、制度にもなるわけです。たとえば政治でいえば直接参加の民主主義とか、社会的なものとしていえば 公害防止システムとか、ということです。  そうするとこれは、政治学の分野に非常に大きなインパクトを与えるし、あるいは社会的な慣行とかビヘイビアというものに大きな影響を与える。そして最後は、ロストウ的にいえば、情報というものが個人のパーソナルな財として使われるようになれば、それは手段財として使 われる。手段財といっているのは、つまり目的達成のための手段として情報が使われるということです。これはベル的にいえば、まさに文化的側面、つまり自己実現だと思うのです。そういうふうに考えると、この情報の生産力がコンピュータと通信技術によって飛躍的に高まり、その3つの側面で経済価値が増大する。」  つまり、平たく言えば増田氏は、「情報化」過程そのものに、財やサービスの生産性を大きく向上させる新しい産業革命としての側面以外に、政治や社会の制度から人々の行動様式まで変化させていく新しい社会革命としての側面があることに気づいていたのである。しかもこの時点で、そうした変化の基盤となる技術を「コンピュータと通信技術」として捉えている。これはまさに卓見というべきだろう。  増田氏の視野にはさらに、ネットワーク型の「ボランタリー集団」の台頭と、市民たちの自力での目標実現活動の拡大が入っている。前者は、最近の言葉でいえばNPO‐NGOあるいは、私のいう「智業」であり、後者は「ネティズン(智民)」たちの協働行動そのものである。増田氏は、そのあたりをこんなことばで述べている。  「未来の市民社会というのは、インディビデュアル・デモクラティック社会というか、つまり個人というものが中心になりながら、あるいはシナジェティックな共通の、いわゆる最近のボランタリー集団で、そこでの個というのを市民と考えていいわけなんですが、しかもそれがかなり多中心的で、いわゆるハイアラーキー的・官僚機構的・権力構造的なものではない、情報のユーティリティというふうなものが中心になりながら形成されていく社会だ。たとえば、アメリカにもグラスルート・デモクラシーみたいなものがある。そういう萌芽というものが、 情報ユーティリティ・ネットワークをもっと広範に形成していったら、いままでにない新しい形の市民社会が形成されるのではないかという、これは漠然とした考えですが、そういうのがあるわけです。」

「ということで、情報の生産力というものが、とくに新しいインスティテューションを市民がつくりうる可能性が出てきた。それから、いままでよりははるかに、いわゆる自己充足的な方向へ行動できる可能性が増えているということに、何か1つのよりどころを求めるべきではないか、ということなんです。(中略)これ[時間的価値]が人間の欲求の中心になるのではないか、という気がするんです。つまり、生活主体があって、場があって、場に働きかけて、その場を自分を含めて望ましい状態に変えていくプロセス、それが時間的価値を生むプロセスです。手段財として、時間的価値というものが、ここに新しい可能性として出てくれば、その時間的価値を個人、集団あるいはコミュニティ、もっといえばグローバルソサエティとして追求していくということが新しい可能性ではないかと、そういうふうに思うわけです。」  どうだろう。「時間的価値」の追求というといささかわかりにくいが、要するに、これからの情報社会では、生活主体としての人々が、個人としても、コミュニティとしても、さらにはグローバルな社会としても、自分たち自身の力で生活の場に働きかけて、その場(そこには自分たち自身も含まれる)の状態をより望ましい方向に変えていこうとするようになるだろうというのである。今日グローバルなレベルで起こりつつある社会変化は、まさに増田氏が予感した通りのものだといえよう。私は、悲観論がいたるところに弥漫していた1970年代半ばに、積極的な未来論を大胆に展開されたこの偉大な先達の勇気と慧眼に、あらためて深い敬意を表したいと思う。