ルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史』 抜粋

山内康英
ルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史』野中香方子訳、文藝春秋、2021年.
https://www.amazon.co.jp/dp/4163914072

本書の主題は、「人間の本性が善である」という前提に立って社会の活動をもう一度組み直すべきだ、との主張である。その根拠は、一種の「自然主義」、つまり、生物学的、進化論的な観点から、人間は他者と共感したり同調したり、さらには集団のために善く振る舞おうとする本性を持っている、という点に求められる。このような本性は、共感したり同調したりする特性の強い個体を選択的に交配すれば、種全体としてどこか早い段階で発現したはずだ、と著者は主張する。この根拠の1 つとしてギンギツネを使ったベリャーレフの実験がある。

『リチャード・ドーキンスが利己的な遺伝子に関するベストセラーを出版して、人間は「生まれながらに利己的」だと結論づけた2年後に、ロシアの無名の遺伝学者が、正反対のことを主張した。突き詰めれば、ドミトリー・ベリャーレフは、人間は飼い慣らされた類人猿だと言っているのだ。数万年の間、良い人ほど、多くの子どもを残した。人間の進化は「フレンドリーな人ほど生き残りやすい」というルールの上に成り立っていた、というのが彼の主張だ。もし、それが正しければ、私たちの体にはその証拠があるはずだ。ブタやウサギや、近年ではギンギツネと同じように、人間はより小さく、より可愛らしくなったはずだ。』(93頁)

これに対して、現在のわれわれの一貫した社会的通念は、人間の本性は利己的であり、また邪悪であって、たとえモラルという薄い皮膜がそれをカバーしていたとしても、社会的なパニックや権力の地位に就けば、直ちに人間の本性が露呈し、ホッブス的な世界が出現する、――これをモラルが割れやすいことにたとえて「ベニア理論」と言う――というものになっている。実際に、社会心理学や経済学は、人間の利己主義や制御できない暴力性を前提としたり強調したりするものが多い。マキャベリ流の政治学については言うまでもない。

ブレグマンは、このような先入見を根拠づけた研究や事件を、最新の文化人類学的な知見や、ジャーナリスト的な取材や資料調査によって一つ々々覆していく。具体的なケースとしては、第2章の「本当の「蠅の王」」、第6章の「イースター島の謎」、第7章「「スタンフォード監獄実験」は本当か」、第8章「「ミルグラムの電気ショック実験」は本当か」、第16章の「「割れ窓理論」は本当か」など、社会心理学、犯罪学、経営学、政治学、戦史の解釈にまで及んで豊富かつ愉快である。

第2章の「本当の「蠅の王」」は次のような事例である。ゴールディングの『蠅の王』は、無人島に漂着した子どもたちが、いやおうなく暴力的無秩序に陥っていく様子を小説にしたもので、「人間本性の闇」を描く優れた創作としてノーベル文学賞を受賞している。ブレグマンは、この点を実証的に解明するために、実際に孤島に流れ着いて自立的な生活を余儀なくされた少年たちの記録を探索し、それをトンガとオーストラリアに跨がる1966年の南太平洋の事例に見つけ出した。ブレグマンによる当事者たちの取材によれば、『蠅の王』とは反対に、子ども達は立派に秩序ある小社会を築いて救出を待っていた、とのことである。

西欧のキリスト教思想には、人間が生まれながらにして罪人だ、という思想が抜き難くあり、これを脱却したはずの近代初期の啓蒙思想も、理性によって邪悪な本性を陶冶すべき、という発想からすれば、この神学的なバイアスを免れていない、と著者は分析する。(第12章「啓蒙主義が取り違えたもの」)なお、著者は1988年生まれのオランダ人で、牧師の息子でもあり、カトリック系の中等教育では進化論についてまともな教育を受けなかった、と述べている。南アフリカのマンデラ政権やホロコーストとデンマークの事例など、オランダ人でなければ知ることの少ない挿話も含まれている。このように最近、米・仏・独といった従来の知的中核の外にもニュージーランド、イスラエル、フィンランドといった国々の論客が世界的に注目され、日本でも紹介されるようになったのは喜ばしいことではないだろうか。当方としてはこれを西欧近代本流の周辺からの思想的復活と呼びたいところである。

所感:「人間の本性は邪悪である」というのが近代の認識論的なバイアスであって、存在論的あるいは生物学的=唯物論的に見れば、実はその本性は善である、というのは、認識論から存在論への転換という近代化の現段階で生ずべき変化の1つかもしれない。実際にブレグマンは、これを「新しい現実主義(new realism)」と呼んでおり、ガブリエルなどの新しい哲学との繋がりを感じさせる。「人間の本性は善を求める市民である」という政治哲学は、実際にはキリスト教神学をバイパスしてアリストテレスに遡及する。政治哲学としての共和主義はここから生まれている。

個人的には、『蠅の王』を批判的に検討したブレグマンに膝を打った。当方は、ゴールディングの前に、ベルヌの『15少年漂流記』を愛読していたため、「いや、こうはならないだろ」と強いショックを受けたのを覚えている。少年達の漂流譚とくれば、日本人としては『彼方のアストラ』が一押シである。ここには神学はなく、ただ家族の悩みしか無いが、しかしまぁ、それはスカイウォーカー一族も同じだ、ということになる。篠原健太『彼方のアストラ』(ジャンプコミックスDIGITAL) Kindle版