飛田武幸先生と情報社会学の確率論的転回

山内康英

飛田先生は国際確率過程論学会の会長を務められた第一級の数学者ですが、数学の門外漢からすると、世界の諸事象に広く共通するパタン生成の根底的なメカニズム(underlying mechanism)──先生はメカニズムに対して機序という訳語を使っておられました──に直接至る把握を指向しておられるように見えました。飛田先生にとって確率論は世界の存在を深く把握しようとする方法論だったのだと思います。飛田先生が社会学者である吉田民人先生の科学論における情報的転回や、社会システム論の研究者である公文所長の歴史的S字曲線の分析を高く評価されたのは、これが理由だと思います。

このような共通パタン生成の理解として、われわれはカオス理論の微分方程式系などの単純な解析的手法を当然のこととしてきた訳ですが、飛田先生はこの考え方をinappropriateであると一蹴し、われわれに確率過程論と代数的手法を指導されたのでした。従来の方法が、自然科学で成立した微分方程式系を社会科学に応用するものであったのに対して、確率過程論と代数的手法は、自然科学と社会科学に通底する、より根源的な世界の理解を与えるものだったのです。なぜならば、事象を時間と空間の独立増分過程から生ずる無限分解可能分布や汎関数空間──これを飛田先生はホワイトノイズ解析(アメリカ数学会による分類番号60H40)と命名されました──として捉えれば、自然科学と社会科学の区別はもとより存在しないからです。

時間と空間の独立増分過程から生ずる確率過程論のモデルは、社会構造の変動に対する歴史的構成主義を裏付けるものです。大規模な社会データの利用とコンピュータによる解析技術の飛躍的普及向上が、飛田先生と公文所長の共同研究に格好の研究領域を提供したのは誠に幸運なことでした。この取り組みを通じて、社会科学の数学的方法論にともなう多くの疑問が氷解したのです。現在、統計学やビッグ・データに対して社会的な関心が高まっていますが、飛田先生の確率過程論の研究は今後、社会科学者にとって必携の知識になると思います。

共同研究の具体的な検討のなかに、ブノワ・マンデルブロの研究をどのように理解するのか、というテーマがありました。フラクタル集合で一世を風靡したマンデルブロの出発点は、1960年代のnon-Gaussian distributionに対する関心にあり、その元をただせばPaul Lévi教授の研究に直截至るものだったのです。このほかサイバネティック理論のノーバート・ウィナーもLévi教授に師事していたのでした。飛田先生は1960年代にLévi教授と直接議論をされた方であり、Lévi教授のオリジナルな文献を机上に置き、いつもそこに戻って思考しておられました。飛田先生の台詞によれば、『鐘も撞木のあたりがら』(飛田武幸「時空と偶然(第4回)」『数学セミナー』2012年8月号、5頁。)だそうです。われわれが撞木としてぶつかる相手を確率過程論に替えたことは決定的な転回であり、情報社会学におけるパラダイムの転換と言えます。