0508憲法私見

公文俊平

いよいよ再改正の時期が熟してきたかに見えるわが国の憲法について、いくつかの私見を述べてみたい。

1. 憲法を「智のゲーム」の重要なテーマの一つとし、憲法改正を年中行事としよう。  近代社会は、軍事化から産業化、さらに情報化へと絶えざる進化の過程にある。近代社会に関するわれわれの知も、それに応じて進化を続けている。それなのに憲法を「不磨の大典」とみなし、容易に改正できないような「硬性憲法」にしておくことには疑問がある。次期憲法は、これまでの日本の憲法とは違って、社会の実態とその設計や運用に関するわれわれの知の変化に応じて柔軟に変化させうるような、「柔性憲法」にすることが望ましい。

2. 憲法を主権国家のあり方の変化に適応させよう。  近代社会を構成する中核的な組織の一つである主権/国民国家とその相互作用としての戦争のありかたは、20世紀に大きく変質した。侵略戦争は国際的正当性を失い、個々の主権国家は、超国家的な組織の一員となることで、その主権性の一部を失った。次期憲法もそうした現実に適合させる必要がある。国際紛争の解決手段としての戦争を放棄しているのはよいとして、同時に、一方における自衛権/自衛軍の保持と、他方における超国家的統治過程――それは当然軍事力ないしグローバルな警察力の行使を含む――への参加の権利および義務について、憲法は明確な規定をもたなくてはならない。同時に、国籍の多重性の容認や、自国に来訪・居住する外国籍者の自国との関係での権利/義務(納税義務や参政権など)をも、憲法に規定しておくことが望ましい。

3. 憲法を産業化の新しい展開に適応させよう。  国家と企業が共働する開発主義的な経済運営がグローバルな標準となりつつある今日、そしてそのことが環境・資源危機や他国の産業や経済の崩壊を引き起こす危険をますます増しつつある今日、侵略戦争が正当性を失ったのと同様、個別的で無制限な開発主義的経済競争の国際的正当性もまた否定されなくてはならない。また国内的には、私有財産権の尊重を当然としつつも、その制限、とりわけ生活の質の改善の観点からみた土地の所有や使用にかかわる私権の制限の必要性について、次期憲法に明確に謳われることが望ましい。  同時に、知的財産権の強化傾向にも歯止めをかけ、さらには逆転させる必要がある。周知のように、知識は、一般の物的財産とは異なって、通有が可能なばかりか、それによって社会の厚生は明らかに増加する(悪用されやすい一部の種類の知識については、例外的な通有の制限が認められるべきだが)。しかも知識は、それが人々に通有されさまざまな変更や追加、再編成が自由に行われる中でもっぱら発達していく。個人の私的・排他的な知的営為が知識の発展に寄与する程度は、ごく限定的なものでしかない。したがって、特許権や著作権のような排他的知的財産権の容認は、それが新しい知識の創造への積極的な誘因となりうるかぎりにおいて、ごく限定的に行われるものでなくてはならない。さらにいえば、飽くなき物的経済成長競争を制限するためにも、知的財産のより自由な通有が奨励されてしかるべきである。次期憲法では、こうした観点を積極的に打ち出してほしい。

4. 憲法を情報化の進展に適応させよう。  産業化とは質的に異なる情報化の過程は、既存の国家(とその国民)や企業(とそのステークホルダー)とは異なる組織としての智業(とその関心集団)と、その新しい活動様式(智のゲーム)を生み出しつつある。とはいえ、その普及はまだ緒についたばかりだし、そのルールも明確に制度化されていない。したがって、次期憲法に情報社会の基本的な法典としての役割を期待するのは時期尚早と思われるが、せめて情報社会に向う基本的な姿勢だけでも明らかにしてほしいものである。とりわけ、国家主権(公権)や私有財産権(私権)とは異なる種類の権利(共権としての情報権)の存在と、それに関連する基本的な義務(生涯学習義務)への言及が望まれる。情報権自体は、情報自由権や情報優先権、情報管理権などを併せた権利の体系となると考えられるが、その詳細は法律の制定に委ねるとしても、基本的な考え方が固まるに応じて、憲法を改正していくという姿勢が、急速な情報化の進展に対応していく上ではとりわけ望まれる。