核兵器の解体と日本の貢献

山内康英

核兵器の解体と日本の貢献

米国とソ連は、冷戦の間に膨大な数の核兵器を作りました。いろいろな理由から、本当の数字は結局、分からないでしょうが、Natural Resources Defense Council(米国のNGO)の推計によれば、核兵器がもっとも蓄積された1980年代半ばの段階で、両国の核弾頭の合計は約68000発になっていたということです。両国の核弾頭は、小さなものから大きなものまで、用途に合わせて何十種類と揃っており、口径155mmの大砲から発射するものもあれば、試験的にですが、58メガトンというとんでもない水爆まで製造されました。(なお、広島の原爆は15キロトン、つまり高性能火薬約15000トン分の爆発力をもっていました。58メガトンというのは、高性能火薬約58,000,000トンに相当します。)

幸いなことに、このような大量破壊兵器が使われることなく、冷戦は終わったのですが、それでは大量に備蓄された核兵器は、その後、どうなっているのでしょうか。

最近、国際会議などで安全保障、環境、エネルギーなどについて、グローバルなガバナンスの仕組みを、どのように作り出すのかが議論されています。たとえば気候変動枠組条約を作り出した京都会議は、その良い例です。安全保障の領域でも、冷戦時代に蓄積した核兵器を、いかに安全に清算するのかについて、各国の専門家が集まって真剣に討議しています。核兵器は環境問題とも関連しています。数年前にソ連が、日本海に原子力潜水艦の廃棄物を捨てていたことが明らかになりましたが、米・露両国の核実験場や核兵器製造施設の周辺には、深刻な環境汚染が生じています。本質的に、核兵器と原子力の商業利用とは表裏一体です。各国の協力を通じて、核兵器の解体から出てくるウランやプルトニウムを加工し、米・露両国の商業用原子炉で利用しようとする動きが進んでいます。このように核兵器の解体や原子力の安全運転は、今後、国際社会が、安全保障、環境、エネルギーに関して、どのような協力体制を作るのか、という試金石になるでしょう。日本は、先進国首脳会議などの場を通じて、技術面、資金面から、ロシアの核兵器解体支援や原子力の安全運転などに協力しています。本レポートでは、核兵器解体に関する日本の支援という観点から、冷戦後の核をめぐる議論を紹介したいと思います。

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